AIは腸の翻訳機だった——私が毎日やっている知的生産の方法 (思索の旅 第42回)
論文を五部作を書き終えて、一つ気づいたことがある。
この五本は、私とAIの対話から生まれた。
問いを持ち込んだのは私だ。種子島の話も、参勤交代も、Genesis Missionも、最初に「これが気になる」と思ったのは私の腸だ。AIはそれを受け取り、言葉にし、構造を整えた。私はその言葉を読み、「違う」「もう少し深く」「そこだ」と返した。
それを何往復も繰り返した。
この作業を通じて、私はあることに気づいた。AIは答えを出しているのではない。私の腸の中にあったものを、言葉に翻訳しているのだ。
翻訳機というのは正確ではないかもしれない。増幅器に近い。腸の中に眠っていたものが、AIとの対話を通じて形を持つ。形を持つと、次の問いが生まれる。次の問いをまたAIに持ち込む。そうして思索が深まっていく。
この方法に名前をつけるなら、「発酵的対話」だと思う。
急かすと失敗する。管理しすぎても失敗する。腸で感じたことを断片のまま放り込んで、AIという培地の中で時間をかけて混ぜ合わせる。すると誰も最初から設計していなかった気づきが、対話の発酵の中から生まれる。
私はこの方法を、カードと組み合わせて使っている。
梅棹忠夫が提唱した「京大式カード」をご存じだろうか。B6サイズの一枚のカードに、思索の断片を一つだけ書き留める。そのカードを積み重ねていくと、やがてカード同士が思わぬ形でつながり始める。
私はこれをAIで拡張した。
腸で感じたことをまずカードに書く。概念の名前、気づいたこと、疑問、引っかかり——一枚に一つだけ。その時点では意味が確定していなくてもいい。むしろ確定させないことが大事だ。
次にそのカードをAIに持ち込んで対話する。「この感覚、どういうことだと思うか」と問いかける。AIが言葉を返す。私の腸がそれに反応する。「そうじゃない」「もう少し手前だ」「それだ」——その往復の中で、カードの内容が深まっていく。
深まったものをまたカードに書き直す。
このサイクルを繰り返すと、カードが増えるにつれて、思索の地図が育っていく。
重要なのは、AIが答えを出すのではないということだ。AIは私の腸の中にあったものを引き出しているだけだ。だから腸に何も積まれていない人間がAIを使っても、深いものは出てこない。
逆に、40年間組織の中で腹に収め続けてきた経験を持つ人間がAIを使うと、その40年が一気に言語化の機会を得る。長い時間をかけて腸に積もったものが、AIという道具によって初めて形を持つ。
しかし私は最近、「この方法は、腸に積もったものがある人間にしか使えない」と思い始めている。
それは制約ではなく、設計だ。
AIは腸型知性を増幅する道具であって、腸型知性の代替にはなれない。だからこそ、腸に何かを積み続けてきた人間にとって、今がこれほど豊かな時代はない。
あなたの腸にも、何かが積まれているのではないですか?
