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何だかんだで飲み会じゃんか

師走である。

先生も忙しくて走り回るというこの時期、何かと気ぜわしい事が多くクリスマスや大みそか、そして迎えるお正月とこれまた物入りな時期でもある。

一昔前は正月の餅代としてボーナスとは別にちょっとした現金支給があって、それは妻にはナイショで自分の懐に仕舞い込んでへそくりにしていたがその素晴らしき風習も不景気と物価高によって無くなって随分経つ。

思えばあの頃はまだ景気が良かったのだなぁと隔世の感がある。

私が子どもの頃に十二月になると父はよく「たのもし」に出かけていた。

たのもしというのはいわゆる無尽講である。

今の若い世代には無尽講と言っても何の事やら分からないと思うので簡単に説明すると互助会のようなもので各々が決められた金額のお金を用意して集まり抽選でそのお金を分け合うという庶民の生活の知恵であった。

当然無利子、無担保で後からぐちぐちと文句を言うのはご法度中のご法度だった。

たのもしとは無尽講の別名で私の地域ではそう呼んでいた。

年末になるとほぼ毎週末父はたのもしに嬉々として出かけていた。

たのもし自体が基本的には損をしないシステムになっているのでもめ事が起こることは無かったそうである。

抽選が終わってお金の話が終わると待っているのは大宴会である。

当時は高度経済成長期から流れるようにバブル景気に繋がる頃で、働けば働くほど収入がうなぎ登りになる時代でたのもしに参加する人もみんな羽振りがとても良かった。

その頃父は絨毯の販売業をしていたのだが、和室を洋風に改造したいという家庭が多くて一枚数十万円を超えるような高級品が飛ぶように売れたそうである。

当然収入もそれなりにあったそうだが母がかなりの倹約化だったので日頃はかなり節約した生活をして稼いだお金は貯蓄に回していた。

そんな生活をしているとたまに羽目を外したくなるのが人情である。

たのもしに持ち込むお金は父のポケットマネーであり、どう使おうが本人の自由だった。

生来賭け事の好きな父は年末に度々開かれるたのもしに積極的に参加していた。

見事抽選で上位に食い込んだ時は上機嫌で私たちに臨時のお小遣いをくれたものである。

たのもしの後の宴会は飲めや歌えの大騒ぎで、帰宅が午前様になることはザラだった。

そんな日はお父さんは今日はたのもしだから、晩御飯はアンタたちが好きな物を作ってあげるわよと母がとっても嬉しい事を言ってくれたものである。

日頃は祖父と父の好みに合わせてぬたや酢の物、焼き魚、煮物といった渋い献立が並びがちだったので、ここぞとばかりにハンバーグ、オムライス、ナポリタン、フライドポテトと好き勝手なメニューをリクエストした。

母もはいはいとどこか嬉しそうに滅多に作らない洋食をちょっぴり苦戦しながら作ってくれた。

そういう日には細い瓶のオレンジジュースがついてくることもあり、まるでレストランに来た気分になって有頂天だった。

その頃はまだファミリーレストランもほとんどなかったので洋食を食べる機会に恵まれるのはこの上ない幸せだった。

ご馳走様をして全然帰ってこない父の事なんて気にしないで寝ていると、深夜にドスンバタンという盛大な音がして玄関がガラガラと開く。

母はもちろん父が帰宅するまで寝ないで待っており、へべれけの父の介抱をかいがいしくして布団まで連れて行っていたみたいである。

翌朝に明らかに二日酔いながらも上機嫌な父から臨時お骨遣いの五百円札を貰うと天にも昇る気持ちになったものだ。

私は小売業の経験がないのでたのもしのような無尽講に参加したことは無いがなかなか楽しそうな大人の真剣勝負なんだろうなと思っていた。

今は父も仕事を引退して随分経つので、たのもしに呼ばれる事は無くなった。

あの頃は財布がいつもパンパンじゃったのぅと懐かしそうに言う。今は慎ましい年金暮らしの父を見て自分もバブル景気の恩恵にあずかりたかったなぁと思ったり思わなかったりするのであった。

そんな日本が元気だった時代を振り返りながら昨日の晩御飯の話を。

昨日は塩サバをフライパンで焼いた。

副菜は肉じゃが。

豚肉を使ってジャガイモ、人参、玉ねぎを昆布だしで煮て醤油、砂糖、酒、みりんで味付け。

コトコト煮て野菜に火が通ったら出来上がり。

もう一品は厚揚げをサイコロ状に切ってごま油を敷いたフライパンで炒め焦げ目がついたら醤油、砂糖、鶏ガラスープ、柚子胡椒を加えて水溶き片栗粉でとろみをつけた厚揚げのあんかけ。

ぬか漬けはニンジン。

汁物はシジミの味噌汁。

昨日はこの四品で晩御飯。

妻といただきますをして食べ始める。

昨日は休肝日。

まずは肉じゃがから食べる。

ジャガイモが出汁を良く吸っておりぽくぽくした食感でなかなかいい。

人参も柔らかく煮えていたし玉ねぎはトロっとして甘みがあった。

豚肉は少ししか使わなかったが十分旨味が出ていた。

次にサバの塩焼きをつまんでご飯と一緒にパクリ。

これはもう間違いのない味。

むふん、美味しいねぇと妻が嬉しそうに言っていた。

それから厚揚げのあんかけをいただく。

鶏ガラベースのとろみと柚子胡椒のピリッとした辛さが良いアクセントになっていてなかなかの出来。

思い付きで作ってみたが成功と言っていいと思う。

あっという間にご飯を一膳食べてしまったのでお代わりをよそって糠漬けをポリリ。

口の中をリセットしてシジミの味噌汁も堪能しておかずを丁寧に三角食べをして満喫した。

お酒を飲まない日の晩御飯は早く終わる。

ご馳走様をして後片付けをしてもまだ九時前だった。

それから最近買ったオクトパストラベラー0をプレイしていたらあっという間に日付が変わりそうになったので慌てて就寝。

眼の具合はちょっとずつ良くなっているかなと実感しているが相変わらずドライアイにはなかなか苦戦している。

治療を怠らずに気長に続けていきたい。

そんなこんなで今日は懐かしの互助会「たのもし」について書いてみました。

今ではもう絶滅した習慣なのかもしれませんが、後の宴会が楽しみだったなと父が回顧しています。

ギャンブルで一発逆転を狙うよりは元本が保証されているこの寄りあいの方が健全な気がします。

もしどこかで続いているのなら誰か私を誘ってくれないかなぁ。

商売をしなきゃダメなのかも。

何屋さんやりましょうか?

子どもの頃は父の仕事に憧れたものですが、絨毯はフローリングに駆逐されて需要が全然ないんですよねぇ。

生まれた時代が少しだけ遅すぎたのか、む、無念…。

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