アダド
| アダド | |
|---|---|
| 天候、嵐、雷、雨の神 | |
|
アダドの像を運ぶアッシリア人の兵士 | |
| 住処 | 天国 |
| シンボル | 雷、雄牛、ライオン |
| 配偶神 | シャラ(メディムシャ) |
| 親 | 最も一般的なものとしてはシン、アヌ、ウラシュ、あるいはダゴンなど |
| 兄弟 | エンキ、ニンシアンナ、ニンカラク、ウラシュ、エンリル、 (シンとニンガルを親とした場合)ウトゥ、 まれにイナンナ |
| 子供 | ギビル(もしくはギッラ) |
| 乗り物 | |
| ギリシア神話 | ゼウス |
| ローマ神話 | ユーピテル |
アダド(Adad)(またはハダド(Hadad、Haddad)、イシュクル(Iškur:シュメール語))は、カナンや古代メソポタミアの宗教における嵐と雨の神、雷の神である。別名はイシュクル(シュメール神名)、バアル、ハダド、アッドゥなどさまざま。紀元前2500年頃のエブラにおいて、「ハッダ(Hadda)」の名でその存在が確認されている[1][2]。配偶神は農耕の女神シャラ。
アダドはアモリ人によってレヴァント地方からメソポタミアにもたらされ、そこでアッカド(アッシリア・バビロニア)の神アダドとして知られるようになった[3][4][5][6]。アダドとイシュクルは、通常、表語文字 𒀭𒅎 [7](フルリ人の神テシュブに用いられるものと同じ記号)で表記される[8]。アダドはまた、リモン(Rimon/Rimmon)、ピダル(Pidar)、ラピウ(Rapi)、バアル・ゼフォン(Baal-Zephon)[9]、あるいは単にバアル(「主」の意)とも呼ばれた。ただし、後者の称号は他の神々に対しても用いられていた。アダドを象徴する動物は雄牛だった。彼は髭を蓄えた姿で描かれ[10][11]、しばしば棍棒と雷光を手にし、雄牛の角をあしらった冠を身につけていた[12][13]。アダドは、ギリシアの神ゼウスやローマの神ユピテル(ユピテル・ドリケヌス)、さらにはバビロニアの神ベルと同一視されていた[14]。
父母神は天空の神アヌと大地の女神キ、風の神エンリルと穀物の女神ニンリル、月の神シンと豊穣の女神ニンガルと一貫性はない。諸説あるが、シンとニンガルを父母神に持つ場合、太陽の神ウトゥと豊穣と愛の女神イナンナとは兄弟であったとされる。配偶神は農耕の女神シャラ。手に稲妻の光の穂を持った姿であるとされる。ハラブ、カルカル、マリなどの都市神。彼への信仰は南部よりも北西部で盛んだった。地中海東岸のウガリト王国では、ウガリトの人々の神話の神と習合した。その神は「主人」を意味するバアル。このバアルは『旧約聖書』にも登場する。元は西セム系の天候の神ハダドに起源を持ち、西方からシュメールに伝えられたとされる。広範囲でその地の天候神や雷神と同一視された。自然の厳しさと恩恵の二面性が特徴的な神でそれは神話の中でも垣間見る事が出来る。洪水神話では、エンリルが人間を滅ぼそうとアダドに干ばつを起こさせた時、人間が供え物をして、祈祷すると、機嫌を良くし恵みの雨を降らせたという。だが、再度エンリルが人間を滅ぼそうとした時は容赦なく、嵐を起こしたという。
「バアル・サイクル」あるいは「バアル叙事詩」は、アダドとも呼ばれるカナンの神バアルにまつわる物語群である。これらは紀元前1400年から1200年の間に成立し、現在のシリアにある古代都市ウガリットの発掘調査によって再発見された。
メソポタミアにおいて、嵐の神アダドと太陽神シャマシュは、共同で神託と占いの守護神となった。
アッカドやシュメールにおけるアダド
[編集]アッカド語において、アダドは「雷鳴を轟かせる者」を意味する「ラムマヌ(Rammanu)」の名でも知られている。この名は、ハダドの別名である帝国アラム語の「ラーム(רעמא/Ra‘m)」やヘブライ語の「ラアム(רַעַם/Ra‘am)」と同語源である。かつて多くの学者はラムマヌをアッカドの独立した神と見なしていたが、後にハダドと同一視されるようになった。
アダドはメソポタミア北部が起源ではあるが、南部においてイシュクルを指すシュメログラム「dIM」によって識別された[15] 。アダドに対する崇拝は、バビロン第1王朝以降メソポタミアに広まった[16]。ウル・ニヌルタの治世(紀元前20世紀または19世紀)に遡る文書では、アダド(イクル)について、「嵐のような怒りで脅威を与え、命を与えることで慈悲深い」という二面性を持っている[17]。
イシュクルはシュルッパクで発見された神々のリストに名を連ねているが、その重要性ははるかに低いものだった。これはおそらく、シュメール地方では嵐や雨が少なく、農業が灌漑に依存していたためと考えられている。エンリルやニヌルタといった神々も嵐の神としての側面を持っていたため、イシュクルの際立った役割は影が薄くなっていた。実際、彼はこれら有力な神々の補佐役や従者として描かれることもある。
エンキが「定め(運命)」を割り当てた際、彼はイシュクルを宇宙の監督者に任じた。ある連祷(れんとう)の中で、イシュクルは「偉大なる輝ける牡牛、汝の名は天なり」と繰り返し称えられ、アヌの息子、カルカラの主とも、また、豊穣の主であり嵐を駆る主、そして「天の獅子」であるエンキの双子の兄弟とも呼ばれている。
他の文献では、アダド(イシュクル)は、ニンガルを母とする月神ナンナ(シン)の息子であり、ウトゥ(シャマシュ)やイナンナ(イシュタル)の兄弟とされることもあるほか、エンリルの息子として描かれることもある[18]。
雄牛は、古バビロニア時代(紀元前2千年紀初頭)から、アダド(イシュクル)の聖獣として描かれるようになった[19]。
アダド/イシュクルの配偶神は(初期シュメールおよび後代のアッシリアの文献の双方において)、穀物の女神シャラだった。もっとも、彼女はダゴンと結び付けられることもある。また、最も古い文献ではシャラはグバラとも呼ばれていた。火の神ギビル(アッカド語ではギッラ)は、時にイシュクルとシャラの息子とされることがある。
アダドは、アナトリアの嵐の神テシュブと同一視されている。ミタンニ人もまた、テシュブを同じシュメール語表記(シュメログラム)である「dIM」で表現していた[8]。また、アムル人の神アムルと同一視されることもある[20]。
バビロニアにおけるアダド(イシュクル)信仰の中心地は南部のカルカラであり、その主要な神殿はエ・カルカラ( É.Kar.kar.a)だった。また、彼の配偶神シャラは、エ・ドゥル・ク(É.Dur.ku)という名の神殿で信仰されていた。一方、アッシリアにおいては、アダドは戦士としての側面を伴う形で発展した。中アッシリア帝国の時代、ティグラト・ピレセル1世の治世(紀元前1115年~1077年)以降、アッシュルにおいてアダドはアヌとともに連立神殿(二重神殿)で祀られ、この二神は祈祷の中でしばしば一対の神として言及された。アダドという名やその様々な異形(ダドゥ、ビル、ダッダなど)は、アッシリアやレバント地方の王や高官の名にも頻繁に見られる(例として、アダド・ニラリ、シャムシ・アダド、ダッダ・イドゥリ(ハダドエゼル)など)。
アダド/イシュクルは、賛歌、呪文、奉納銘文において二つの側面を見せている。しかるべき時期に雨をもたらして大地を潤す一方で、嵐を送り込んで甚大な被害や破壊をもたらすのである。彼は記念碑や円筒印章において、稲妻や雷霆(らいてい)(時には槍の形をとる)を伴う姿(時には角付きの兜を被った姿)で描かれており、賛歌においてはその厳粛な側面が際立っている。太陽神シャマシュとの結びつき――両神が交代で自然を支配するという関係――により、若干ではあるが、アダドは太陽神としての性格を持っていると言える。
アルベルト・グリーンによれば、イシュクルが持つより平和的で牧歌的な性格とは対照的に、カッシート朝時代およびマリ地域におけるアダドの描写は、破壊的で嵐を呼ぶ性質や、恐るべき戦いの神としての役割を強調している[21]。
シャマシュとアダドは託宣と占いの神となり、神意を問うあらゆる儀式において呼び求められた。それらの儀式は、犠牲獣の肝臓の観察、水盤に垂らした油の泡の動きの観察、あるいは天体の運行の観測を通じて行われた。王の年代記や奉納銘文においても、この2人の神は共に「ベーレ・ビリ(占いの主)」と称されている。
ウガリットにおけるハダド
[編集]
宗教文書において、バアル(ハダド)は雨や作物を司る天空の主であり、豊穣の神、そして生命と成長の守護者である。彼が不在となれば、干ばつや飢饉、そして混沌がもたらされる。ウガリットで発見された「バアル神話(バアル・サイクル)」の文書は断片的なものであり、その理解には多くの背景知識が必要である。
最高神エルは、神々の集会が開かれるレル山(「夜」の意か)に座している。この神話的サイクルの冒頭において、エルとバアルの間には対立があるようだ。エルは、王子ヤム(「海」の意)とも裁判官ナハル(「川」の意)とも呼ばれる自身の息子の一人を神々の王に任じ、その名を「ヤム(yw)」から「ムッド・イル(mdd ’il:エルの愛し子)」へと改めさせる。そしてエルは息子に対し、王位を確かなものにするためにはバアルを追い払わねばならないと告げる。
この戦いでバアルは弱体化するものの、神々の工匠コタル・ワ・ハシス(Kothar-wa-Khasis)がバアルのために二つの魔力ある棍棒を鍛え上げる。バアルはその武器を用いてヤムを打ち倒し、至高の座に就いた。アシュタルトはバアルの勝利を宣言し、彼を「雲に乗る者(ルキブ・アルパト)」と称えた。この称号は、現代の英語聖書において、詩篇68章4節のヤハウェに対して用いられている表現でもある。アシュタルトに促されたバアルはヤムを「打ち散らし」、ヤムの死と、暖かさがもたらされることを宣言する。
後の箇所では、バアルが多頭の海の竜ロタンに勝利したことが語られている。本文に欠落があるため、ロタンがヤムの別名なのか、あるいは類似の物語に登場する人物なのかは不明である。なお、これらの物語は、地中海からの風、嵐、洪水によって脅かされる作物の寓話であった可能性がある。
話は続き、レバノン山やシリオン山の銀、金、そして杉材を用いて、バアルのための宮殿が築かれる。バアルは新しい宮殿で、他の神々を招いて盛大な宴を催す。コタル・ワ・ハシスに促され、バアルはしぶしぶ宮殿の窓を開け放ち、雷鳴と稲妻を放った。そして、同じくエルの息子の一人であり、死や干魃、冥界を司る神モトを、その宴へと招き入れた。
しかし、人肉と血を食らうモトは、パンとワインだけを差し出されたことに侮辱を感じる。彼はバアルを粉々に砕いて飲み込むと脅し、バアルでさえ死に立ち向かうことはできない。この部分の記述の空白は、解釈を困難にしている。太陽の女神シャパシュの助言に従い、バアルは雌牛と交わって生まれた子牛に自身の衣服を着せてモトへの贈り物とし、自らは無力な亡霊の姿で冥界へ下る準備を整えたようだ。バアルが死んだかのような知らせを受け、神々の長エルでさえも嘆き悲しんだ。バアルの妹アナトはバアルの遺体(おそらく実際には死んだ子牛の死骸)を発見し、葬礼の宴を催してその遺体を埋葬する。神アスタルがバアルの代わりを務めることになったが、彼はその任にふさわしい代役とは言えなかった。一方、アナトはモトを見つけ出し、剣で切り裂き、火で焼き、その亡骸を鳥たちに投げ与えた。しかし、シャプシュがバアルを連れ戻すまで、大地は干ばつでひび割れたままの状態が続く。
7年後、モトが戻ってきてバアルを攻撃するが、今ではエルがバアルを支持しているとシャプシュがモトに告げたことで、戦いは収束した。モトはバアルに降伏し、彼を王として認めた。
エジプトにおけるハダド
[編集]エジプトの神セトと、カナン・シリア地域の嵐と恵みの神バアルは、ヒクソス支配期(第二中間期)から新王国時代にかけて強力に同一視(シンクレティズム:神々の一体化)されていった。セトはエジプトで「嵐」「雷」「砂漠」「外来の土地」を司る神だった。一方、西アジアのバアルも「嵐」「雷雨」「肥沃さ」をもたらす戦神だった。双方ともに「雷や暴風を操る荒々しい戦神」という共通の神格を持っていたため、容易に結びついたのである[22]。西アジアからエジプトに渡来したヒクソスは、自らの最高神であるバアルを、エジプトの地に根付いていたセト神と重ね合わせた。彼らは首都アヴァリスで「アヴァリスのセト(=バアル)」として熱心に崇拝した。
ヒクソスが追放された後も、この同一視は消滅せず、むしろエジプトの公式な宗教文化の中に定着した。新王国時代(第18・19王朝)のエジプトでは、異国の神々(アナト、アスタルテ、レシェフなど)とともにバアルも公式に受容された。碑文や刻文では「セト」と書かれていても、描写や添え名がバアルを指しているケースが多々見られる[23]。第19王朝のファラオ(ラムセス2世など)はセト神を非常に重視し、自らの軍勢の強さを「戦闘におけるバアルのよう」「セトの怒りのよう」と表現して、両者を同義的に扱った[24]。
美術やレリーフにおいても両者の特徴が融合した。エジプトの壁画や刻印において、セト神の特徴(長い耳と曲がった鼻を持つ「セト獣」の頭部)を持ちながら、バアル独特のアジア風の衣装や円錐形の冠、あるいは槍・棍棒を手にした姿で描かれる例が多く存在する[25]。このように、起源や神話体系(オシリス神話など)はまったく異なる二神だが、歴史的交流と文化の混交によって、古代エジプトにおいては実質的に同じ神の異名・異形態として扱われていた。
アマースト・パピルスにおいて、バアル・ゼフォン(ハダド)はエジプトの神ホルスと同一視されている。「ゼフォンより来たるバアルがあなたを祝福せんことを」(アマースト・パピルス 63, 7:3)、および11:13-14において「そしてゼフォンよりホルスが我らを助けんことを」とも記されている。古典時代の文献では、この名は「ゼウス・カシオス」と訳されている。これは、ペルシウムにおいてゼウス・カシオスの像がハルポクラテス(子供の姿のホルス)の像と見なされていたためである[26]。ゼウス・カシオスは、アポロンの特質もいくつか受け継いでいた。また、彼がその山(シリア・トルコ国境のカシオス山、あるいはエジプトのペルシウム近郊のカシオン)をめぐってテュポンと争ったことも語り継がれている。
バアルがホルスと同一視され得ると同時に、そのライバルであるセトとも同一視された理由は、エジプトにおいて「嵐」という要素が異質なものと見なされていたことにある。セトは異邦人や部外者の神であったため、エジプト人は近隣の神々と結びつける際、他に適切な候補が見当たらず、嵐の神であるハダドと暫定的に関連付けた。しかし、バアル(ハダド)が雨や雷といった特定の属性を強調されず、単に「天空の神」として捉えられる場合――例えば、山に鎮座する主神としての姿である「バアル・ザフォン」がそうであり、実際、ウガリット王からエジプトのファラオに宛てた14世紀の書簡でもバアル・ザフォンはアメン神と同等とされている[27]――その側面においては、彼はエジプトのホルス神により近い存在となる(これはバアルシャミンとも比較し得る性質である)。
その解釈の相違は、ヒクソスによってセト神がハダド神と結び付けられていたという事実に基づいている可能性もある。おそらく本来、セトは「バアル」という称号で呼ばれる別の神(数あるバアルの一柱、例えばティルスのバアルなど)を指していたのであろう。その神は、特にエジプトにおいては異国の神であったがゆえに嵐の神としての性格が強調され、際立って示されることになったと考えられる。
彼に相当する神を崇拝していた他の文化において、彼の気象神としての側面がそれほど際立っていたわけではないかもしれない。しかし、セム文化圏で彼と同一視しでき嵐の神はハダドしかおらず、ヒッタイト文化圏ではステク(テシュブの別名である可能性が指摘されているが、定かではない)しか存在しなかったことを踏まえると、その神の性質はエジプトの神(セト)の特徴と合致している。また、ヒッタイト人もセム系のヒクソスも、エジプトの地においては自らの神々を伴ってやってきた異邦人であり、彼らの主神が嵐の神としての性質を帯びていたことや、エジプトへ渡来した異邦人と結びついていたという点も、両者の関連性を裏付けるものと考えられる。こうした特徴は、エジプト人がセトに対して抱いていた認識とも重なるものだった。
これは、神々の王の座が旧世代から新世代へと引き継がれるという神話的モチーフを再び反映するものである。その好例がヒッタイトの「クマルビ神話」であり、そこではテシュブが、それまで神々の父として君臨していたクマルビに取って代わっている。「Amherst XII/15」においても、以前と同様の同一視、すなわち「ゼフォンのバアル=ホルス」(BT mn Şpn Hr)と記述されている[28]。
アラムと古代イスラエルにおけるハダド
[編集]
紀元前2千年紀、自らを「ハダドに愛されし者」と称したヤムハド(別名ハラブ、現代のアレッポ)の王は、マリの王から貢物としてイシュタル女神像を受け取った。その像は、ハラブ城塞にあるハダド神殿に祀られるためのものだった[29][30]。アッシリアの王シャルマネセル1世の石碑において、ハダドは「アレッポの神」と呼ばれている。
「ハダド」という要素は、この地域の王たちが用いた多くの神名対比(神名を含む名前)に登場する。モアブでミディアン人を破ったベダドの子ハダドは、エドムの第4代国王だった。また、ハダドエゼル(「ハダドは助けなり」の意)は、ダビデに敗れたアラム人の王だった。その後のダマスコのアラム系国王たちは、慣習的にベン・ハダド(ハダドの子)という称号を名乗っていたようである。その一人がアラム王ベン・ハダドであり、ユダ王アサの依頼を受けて北イスラエル王国へ侵攻した[31]。アレッポの北に位置するブレジで発見された紀元前9世紀または8世紀の奉納玄武岩石碑は、メルカルトに捧げられたものであり、アラム王ベン・ハダドの名が刻まれている[32]。イシュマエルの12人の息子のうち、7番目の子もまたハダドという名前である。
関連する一連の別称には、アラマイ語の rmn、古代南アラビア語の rmn、ヘブライ語の rmwn、そしてアッカド語のRammānu(「雷を落とす者」の意)が含まれ、アラマイ語とヘブライ語では本来Ramānと発音されていたと推測されている。マソラ母音記号を付した Rimmon というヘブライ語表記 rmwn[33] は、「ザクロ」を意味するヘブライ語の単語と同一である。これは、この神の元の名前を意図的に誤記したもの、あるいはパロディ化したものである可能性がある[34]。

「ハダド・リムノンの(またはハダド・リムノンにおける)哀悼」というフレーズに含まれるハダド・リムノン(またはハダル・リムノン)という言葉は、多くの議論を呼んできた[36]。ヒエロニムスや初期のキリスト教解釈者によれば、この哀悼はメギドの谷にあるハダド・リムノン(マクシミアイノポリス)と呼ばれる場所で起きた出来事に対するものである。この出来事は、一般的にヨシヤの死(あるいはタルグムにあるように、ハダド・リムノンの手によるアハブの死)であると考えられていた。しかし、ウガリットテキストが発見される前から、ハダド・リムノンはアドニスやタムズのような死と再生の神であり、おそらくタムズと同一神でさえあるかもしれないと疑う者もおり、その場合、この仄めかしはアドニス祭のようなハダドに対する哀悼を指している可能性がある[37][38]。T・K・チェインは、七十人訳聖書では単に「リムノン」と読まれていることを指摘し、これがミグドン(メギド)の、そして最終的にはタムズ・アドンの誤記かもしれないと主張している。彼はこの節を、「その日、エルサレムには大きな哀悼が巻き起こるだろう。それはタムズ・アドンのために泣く女たちの哀悼のようなものである」(アドンは「主」を意味する)と訳すことを提案している[39]。このような推測を解決するような、さらなる証拠は明らかになっていない。
列王記において、北イスラエル王アハブの妻であるイゼベルは、自らが嫁いだ国でバアル信仰を推進した。ジョン・デイは、イゼベルが信仰したバアルは「バアル・シャメン(天の主)」であった可能性が高いと主張している。この称号は、ハダドに対して最も頻繁に用いられたものである[40]。
サンクニアトン
[編集]サンクニアトン[41]の記述において、ハダドは一度だけ「アドドス」と呼ばれているが、ほぼ「デマルース」と命名されている。これは不可解な形式であり、おそらくハダドと対比して登場するウガリット語の dmrn に由来するか[42]、あるいは「ハダド・ラマーン」がギリシャ語で転訛したものと考えられる。サンクニアトンの伝えるハダドは、スカイ(Sky:空)と側室の間に生まれた子であり、その側室はスカイの子を妊娠している間にダゴン神へ引き渡された。これはハダドの血統に関する2つの記述を統合する試みのように見え、そのうちの1つはハダドがダゴンの子であったとするウガリットの伝承である[43]。同系のアッカドの神アダドもまた、しばしばアヌ(「空」)の子と呼ばれる。対応するヒッタイトの神テシュブも同様に、(ある意味で)アヌの子とされている。
サンクニアトンの記述では、最初にポントス(「海」)と戦うのはスカイ(空)である。その後、スカイはハダドと同盟を結ぶ。ハダドが争いを引き継ぐが敗北してしまい、あいにく、この問題についての記述はここで途絶えている。サンクニアトンは、ウガリットのモトにあたり、自身も「死」と呼ぶムトをエルの子とすることで、ウガリットの伝承と一致している。
脚注
[編集]- ↑ Johnston 2004, p. 173.
- ↑ Allen 2015, p. 10.
- ↑ Clay 2007, p. 50.
- ↑ Pinches 1908, p. 15.
- ↑ Fontenrose 1980, p. 157.
- ↑ Green 2003, p. 166.
- ↑ ORACC – Iškur/Adad (god)
(『イシュクル/アダド』(ORRAC:The Open Richly Annotated Cuneiform Corpus、注釈付き楔形文字オープンコーパス)) - 1 2 Green 2003, p. 130.
- ↑ Gibson 1978, p. 208.
- ↑ Sharpes 2006, p. 27.
- ↑ Farbridge 1923, p. 63.
- ↑ Chopra 2005, p. 126.
- ↑ Encyclopadia Britannica, inc 1991, p. 605.
- ↑ Lipiński 2005.
- ↑ Green 2003, pp. 51–52.
- ↑ Green 2003, p. 52.
- ↑ Green 2003, p. 54.
- ↑ Green 2003, p. 59.
- ↑ Green 2003, pp. 18–24.
- ↑ van der Toorn, Becking & van der Horst 1999, pp. 32–34.
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- ↑ 列王記上15:18
- ↑ シリアのアレッポ国立博物館に所蔵されている、古代の玄武岩製メルカルトの石碑。受入番号:M.6380、KAI 201番
- ↑ 列王記下5:18
- ↑ Klein 2018, pp. 351–354.
- ↑ Wimmer 2011, pp. 135–141.
- ↑ ゼカリヤ書12:11
- ↑ Hitzig 1838ゼカリヤ書12:2、イザヤ書12:8
- ↑ Movers 1841, p. 196.
- ↑ Cheyne 1903リモン(Rimon)の項を参照。
- ↑ Day 2000, p. 75.
- ↑ フェニキアの著述家。生没年不詳
- ↑ Oldenburg 1969, pp. 59-.
- ↑ Schwemer 2007.
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