ダーウィンを祖とする進化学は、ゲノム科学の進歩と相まって、生物とその進化の理解に多大な貢献をした。
一方で、ダーウィンが提唱した「進化論」は自然科学に革命を起こすにとどまらず、政治・経済・文化・社会・思想に多大な影響をもたらした。
発売からたちまち4刷となった、話題の『ダーウィンの呪い』では、稀代の書き手として注目される千葉聡氏が、進化論が生み出した「迷宮」の謎に挑む。
※本記事は千葉聡『ダーウィンの呪い』から抜粋・編集したものです。
進化に方向性はあるのか
日本の大学生は進化する必要がある、などと私が言おうものなら、私の学生も含めた生物学徒は鬼の首を取ったように苦情を述べるだろう。私の主張に、ではない。進化という言葉の使い方に対してである。
生物学的な進化の意味は、遺伝する性質の世代を超えた変化である。現代のそれは発展や発達、進歩の意味ではない。生物進化は一定方向への変化を意味しない。目的も目標も、一切ないのだ。
そのプロセスの要は、ランダムに生起した変異が自然選択のふるいにかかって起きることである。まずはダーウィンの説明から見てみよう。
「……どんな原因で生じたどんなにわずかな変異でも、ほかの生物や周囲の自然との無限に複雑な関係の中で、その変異が何かの種の個体にとって少しでも有益であれば、その個体の生存につながる。そしてその変異がその個体の子孫に受け継がれるのが普通である。さらにその子孫も生き残る可能性が高くなる。なぜなら、どんな種でも、定期的に生まれる多くの個体のうち、ごくわずかしか生き残らないからである。この、わずかな変異でも、有用であれば保存されるという原理を、私は『自然選択』と呼んでいる。それは、人間による選択の力との関係を示すためである」
この自然選択の作用で、より高い繁殖率や生存率を持つ変異が、次世代にほかの変異より多くの子孫を残す結果、存在比率を増やしていく。選択によるわずかな変化が蓄
積し、少しずつ漸進的に進化する。
自然選択は、動植物の育種のために人間が行う変異の選抜──人為選択がヒントになっている。だが人為選択と異なり、自然の作用には育種家が抱くような変化の目的や目標はない。
ダーウィンにとって、どのような変異が生じるかはランダムであり、どのような性質が有利かは環境によって変わるので、進化は条件次第でどのような方向にも進みうるものだった。つまり進化には発展や進歩のような、あらかじめ定まった方向はない。退化も進化である。
ダーウィンは、寄生虫が自由生活者の祖先から進化し適応を遂げた結果、祖先が持っていた器官や能力を失う、つまり退化することが多いとも述べている。
一定の方向ではなく、あらゆる方向に変化する結果、多様化が進む。現在の生物が、初期の生命と比べて複雑に見えるのは、単純なものから様々な方向への進化で多様性が高まった結果の一部を見てそう思うに過ぎない。現在の地球上に棲む生物種は、すべて共通祖先から枝分かれし、同じ進化の時間を経てきたものだ。だから、その中に祖先的な形質を残した種は存在するが、ある種が別の種の祖先ということはない。
ダーウィンは1837年のノートにこう記している。「ある動物がほかの動物より高等である、と語るのは馬鹿げている」。また友人のジョセフ・フッカーに宛てて、こう手紙に書いている。「神よ、“進歩する傾向”というラマルクの馬鹿げた考えから、私をお守りください」。
進化は進歩でも発展でもない、そうダーウィンは考えたのである。ではなぜ生物学以外の分野や一般社会では、進化を発展、発達、進歩の意味で使うのだろう。
まずダーウィンの主張を整理しよう。その要点は、第1に生物の種は神が創造したものでなく、共通祖先から分化、変遷してきたものであり、常に変化する、という主張。
第2に、生物の系統が常に変化し、枝分かれする以上、種は類型的な実体ではなく、科や属や亜種と同じく、形のギャップで恣意的に区分される変異のグループに過ぎないという主張。
第3に、そうした変化を引き起こした主要なプロセスは自然選択である、という自然選択説の主張である。そしてこの三つに基づいて、生物の進化は何らかの目標に向かう進歩ではなく、方向性のない盲目的な変化である、という主張が導かれる。