クラシエ ホールディングス・岩倉昌弘社長(撮影:春川正明)
クラシエ ホールディングス・岩倉昌弘社長(撮影:春川正明)

カネボウの経営が傾いて来ても、社内では社員に何も知らされなかったという。

「全部情報が新聞、我々が知るのは。(新聞に)バーンと抜かれて、変な話、『ボーナス出ません』も新聞で知りました」

産業再生機構の支援が正式に決まって破綻が決まった時も、社内に告知は無かった。産業再生機構とは、再生可能な不振企業の債権を買い取って再生を支援するために、日本政府が創設し公的資金を活用した官民ファンドである。

「破綻の直前は何も開示されなかった。なんにも知らせてなくて、ある日突然『アウトですよ』と言われて、『それはないよ』と。社内より新聞ですよ、当時は全て後追い情報。我々には開示されません。一部の上は知っていても、我々みたいな営業、販売部門の部長とかも全然。支店長は知っていたのでしょうけど、言いませんもん」

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同業他社からの引き抜きの誘いもあったというが、なぜ岩倉社長は沈みゆくカネボウに残ることを決めたのだろうか。

「100年企業が潰れる瞬間を見られるチャンスは無いと思った、真面目な話。潰れる本当の日はどんな感じで迎えるんだろうと。結局ねえ、潰れていないのですよ、この会社。破綻はしたけど、産業再生機構の支援は受けたので、最後は何とか生き延びちゃったんですね。だからちょっと物足りなかったですけどね」

「忖度ばかり」が一掃された

破綻した後は、産業再生機構、続いてファンドがスポンサーとなり支援をした。カネボウの祖業である繊維事業など多くの事業が売却され、稼ぎ頭だった化粧品事業も切り離され花王の傘下となった。

そして化粧品の“おまけ”を集めたと揶揄されたこともある日用品(ホームプロダクツ)、薬品、食品(フーズ)の3事業が集まって2007年に『クラシエ』に社名変更して再スタートした。

「産業再生機構の支援を受けるってことはチャンスがあるなと。変に自力再生とかされると困ったなと思ったんですよ。残るじゃないですか、当時の経営陣が。こんなの一掃したらいい。一掃してダメだったら腹をくくって次を選ぶべきだと。チャンスを貰うなら、もうちょっとやってみようかなという思いでした」

しかし、社内に入って来た産業再生機構のメンバーの取り組みは厳しかったという。

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