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Z世代化する社会―お客様になっていく若者たち
――「第1章」冒頭より
「まったく、近頃の若者は!」と嘆くあなたも「Z世代化」している!?
ゆとり世代の東大講師がコミカルに語る衝撃の若者論!
「PTAに言いつけますけど、いいんですか?」
「気難しい表情の上司は存在がストレス」
「怒らない=見捨てられた。だから、いい感じに怒って」
「職場環境はいいけど、社名を自慢できないから転職します」
若者を見ればわれわれの生きる「今」の、社会の構造が見えてくる!
【主な内容】
はじめに──Z世代を語る意味
第1章 Z世代の住処──SNS、学校、友達、若者世界のリアリティ
第2章 消費の主役・Z世代──経営者化する社会
第3章 唯言が駆動する非倫理的ビジネス──開かれたネットワークの閉じられたコミュニティ
第4章 劇的な成長神話──モバイルプランナーのアナザーストーリー
第5章 消えるブラック、消えない不安──当たりガチャを求めて
第6章 不安と唯言のはてに──われわれに何ができるのか
おわりに
- 言語日本語
- 出版社東洋経済新報社
- 発売日2024/4/17
- ファイルサイズ3.5 MB
この本を読んだ購入者はこれも読んでいます
出版社より
ゆとり世代の東大講師がコミカルに語る、衝撃の若者論!
Z世代と呼ばれる若者たちを観察することで、われわれが生きる社会の在り方と変化を展望しようというのが、本書のねらいである。
世に若者論はあふれている。優れているものも、たいして優れていないものも数多ある中で、本書の独自性は2つある。まず、企業やビジネスといった視点が中心であること。
そして、若者を「他人」にしないこと、である。優れていない若者論は往々にして、若者そのものを観察したり対話したりすることを怠って、イメージだけで若者を語る。筆者は、(ときに嫌がられながらも)Z世代そのものと丁寧に対話し、聞き取ることを心掛けた。
本書は「われわれ」という主語を多用する。主語や目的語としてヘンじゃない?誰を指した「われわれ」なの?と思われるかもしれない。あえて「われわれ」と述べる意図は、若者と(筆者を含む)若者でない人とは、ゆうても地続きであって、いろんなものを共有していて、同じ穴のムジナなのだ、というメッセージが込められている。(「はじめに」より一部抜粋)
「近頃の若者は…」と嘆くあなたも「Z世代化」している!?
ある村で、若者だけに感染する病気が発見された。医者をはじめ大騒ぎになる。オトナはそれを見て、若者がダメだからだ、やっぱり若者はたるんでる、管理者は何をやってるんだ、と叩く。が、しかし、実はこの病気はオトナにも感染するもので、免疫の弱い若者にだけ早く感染しただけなのだった。
ヤバい若者、理解し難い若者について深く究明するたびに思うことがある。良質な答え、より深みのある答えに行き着いたと思うほどに、思う。そうか、若者はこういう理由で、あんなヘンなことをするんだな! と気付いたとき、じゃあ自分はそういう理由と無関係だろうか、自分はそういうことはしないのだろうか、という疑問が同時に浮かぶのだ。(「はじめに」より一部抜粋)
若者を見ればわれわれの生きる「今」の、社会の構造が見えてくる!本書で紹介するリアルな「若者」。その一部をお見せします。
ラインは重い
初対面同士が連絡を取り合うために何らかの情報を交換する、というのは当たり前である。ところが、その媒体は世代や集団によって異なり、最近の若者は、初対面ならばまずインスタのアカウントを教え合うのだ。
なぜラインは重くて、インスタならよいのだろう。ちなみに、既に仲良くなった同士なら、ラインを使うらしい。
端的にいえば、若者はこう思っている。ラインはもっと仲良くなってから。初対面程度の「友達候補」に、最も重要な連絡先を教えるのはリスキーである。まずインスタを教えて、もし「ハズレ」の相手なら、「ブロ解」すればいい。(「第1章」より一部抜粋)
友達と違ってたら嫌ですよね
とある企業の方が登壇し、授業も終わりかけた頃。その方は待ち構えたように、終わりの言葉を言ってのけた。
「皆さん就活は、今のうちから、1年生から始めましょうね。隣の友達が内定を持っているのに、自分が持っていなかったら嫌ですよね」
このエピソードからわかることは2つ。まず、企業は学生を脅して、不安を煽ってビジネスチャンスを得ることに躊躇がない。そして、学生は友達に弱い。よく知っている。よく調べている。名のある大企業だけあって、市場調査もきっちりやっているのだ。(「第2章」より一部抜粋)
いい感じに怒ってほしい
ほとんどの若者は必ずしも怒る・怒られること自体を否定してはいない(怒ることを忌避して排除しているのはオトナである)。怒られることに異常ともいえる反応を示すのはごく一部である。
ざっくり半数くらいは、まあそれは怒られるべきじゃないの、と思っている。理由として多いのは「怒られないのは逆に、見捨てられているような気がする」という意見だ。怒ることを正当化するわけじゃないけど、愛情ゆえの怒りというものも当然存在する。若者は過度なくらい感情の世界で生きていて、だからこそ愛してほしい。(「第5章」より一部抜粋)
Z世代化する社会
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若者に辞められると困るので、強く言えません
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先生、どうか皆の前でほめないで下さい
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AI vs. 教科書が読めない子どもたち
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心理的安全性 最強の教科書
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新 管理職1年目の教科書
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|---|---|---|---|---|---|---|
| カスタマーレビュー |
5つ星のうち4.4 147
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5つ星のうち4.0 65
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5つ星のうち4.3 918
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5つ星のうち4.4 3,567
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5つ星のうち4.3 365
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5つ星のうち4.4 191
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| 価格 | USD 11.05USD11.05 | USD 10.36USD10.36 | USD 10.36USD10.36 | USD 12.43USD12.43 | USD 11.74USD11.74 | USD 11.05USD11.05 |
| 著者 | 舟津昌平 | 横山信弘 | 金間大介 | 新井紀子 | ピョートル・フェリクス・グジバチ | 櫻田毅 |
| 内容 | 「近頃の若者は…」と嘆くあなたも「Z世代化」している!? ゆとり世代の東大講師がコミカルに語る衝撃の若者論! | ゆるすぎてもダメ、ブラックはもちろんダメな時代に、若者を一人前に育てるためのマネジメント方法を解説 | ほめられたくない、目立ちたくない、埋もれていたい。若者に起きている重大異変を、イノベーションとモチベーションの研究家が分析。 | AIの誤解・限界を示す一方で、日本人の読解力の低さを指摘。AI化が進んだ未来の行き着く先は、教育の劣化を伴った最悪の恐慌だ。 | グーグルで人材開発&人材育成を任された第一人者が、職場に心理的安全性を生む「言葉」と「伝え方」を一挙公開! | 確実に成果を出す外資系マネジャーは何をしているのか。ジョブ型雇用時代、DX時代における管理職の成功法則。 |
| 発売日 | 2024/4/17 | 2024/2/21 | 2022/3/18 | 2018/2/2 | 2023/3/17 | 2023/4/14 |
商品の説明
レビュー
はじめに──Z世代を語る意味
第1章 Z世代の住処──SNS、学校、友達、若者世界のリアリティ
第2章 消費の主役・Z世代──経営者化する社会
第3章 唯言が駆動する非倫理的ビジネス──開かれたネットワークの閉じられたコミュニティ
第4章 劇的な成長神話──モバイルプランナーのアナザーストーリー
第5章 消えるブラック、消えない不安──当たりガチャを求めて
第6章 不安と唯言のはてに──われわれに何ができるのか
おわりに
著者について
東京大学大学院経済学研究科講師
1989年奈良県生まれ。2012年京都大学法学部卒業、14年京都大学大学院経営管理教育部修了、19年京都大学大学院経済学研究科博士後期課程修了、博士(経済学)。京都大学大学院経済学研究科特定助教、京都産業大学経営学部准教授などを経て、23年10月より現職。著書に『制度複雑性のマネジメント』(白桃書房、2023年度日本ベンチャー学会清成忠男賞書籍部門受賞)、『組織変革論』(中央経済社)などがある。
登録情報
- ASIN : B0CX8N4FWV
- 出版社 : 東洋経済新報社
- アクセシビリティ : 詳細はこちら
- 発売日 : 2024/4/17
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 3.5 MB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- タイプセッティングの改善 : 有効
- X-Ray : 有効にされていません
- Word Wise : 有効にされていません
- 本の長さ : 314ページ
- Page Flip : 有効
- Amazon 売れ筋ランキング: Kindleストア - 25,065位 (Kindleストアの売れ筋ランキングを見る)
- 社会学概論 - 285位
- 社会学 (Kindleストア) - 556位
- カスタマーレビュー:
著者について

経営学者、東京大学大学院経済学研究科講師。2012年京都大学法学部卒業、2014年京都大学大学院経営管理教育部修了、2019年京都大学大学院経済学研究科博士後期課程修了、博士(経済学)。京都大学大学院経済学研究科特定助教、京都産業大学経営学部准教授などを経て、2023年10月より現職。専門は経営組織論、制度派組織論、イノベーションマネジメント。日本ベンチャー学会清成忠男賞、企業家研究フォーラム賞、京都大学体育会会長賞受賞。
カスタマーレビュー
お客様のご意見
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日本からのトップレビュー
- 星5つ中5つ
読みやすい文体!深く理解できる。
2026年8月2日に日本でレビュー済み面白い!著者の文章力であっという間に読まされる。
若者を理解しながら、自分と重ね合わせたり、比較したり。
もう若くない自分と向き合うきっかけにもなった。
素敵な読書体験をありがとうございます。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えていますフィードバックを送信中...フィードバックを送信中...参考になったフィードバックをお寄せいただきありがとうございます。申し訳ありませんが、投票の記録に失敗しました。 もう一度お試しくださいありがとうございます。数日中に調査いたします。申し訳ありません。このレビューを報告できませんでした。 もう一度お試しください - 星5つ中4つ
面白かった。 オチが今ひとつかな…
2024年10月25日に日本でレビュー済み現役の大学の先生だけあって、実例が面白かったです。 何となく知っていることと、現場でインタビューされた内容では、臨場感が違いますね。 Z世代の娘にも読ませました。
結論が寺山修司だったのが残念。
4人のユーザーが役に立ったと感じていますフィードバックを送信中...フィードバックを送信中...参考になったフィードバックをお寄せいただきありがとうございます。申し訳ありませんが、投票の記録に失敗しました。 もう一度お試しくださいありがとうございます。数日中に調査いたします。申し訳ありません。このレビューを報告できませんでした。 もう一度お試しください - 星5つ中5つ
Z世代はわれわれのーZ世代以外を含むー社会の構造を写し取った存在であり、写像であるということだ、という社会論
2024年8月23日に日本でレビュー済み「『若者』のこと、どう思いますか?
実はこの問いは、答えようとするあなたに対して、ある判断を未然に求めている。つまり答えようとするそのとき、『答えるあなた自身は若者なの?そうでないの?』という問いを、言外に突きつけられるはすなのだ」
「若者と接するのは、楽しさもあるけど正直けっこうシンドイ。精神を削られる出来事もすくなくはない。ほとんどの若者は大学の授業に前向きに取り組めてはいないということを加味しても、同じ人間同士のコミュニケーションとは思えない、と感じることも多々ある。異世代間コミュニケーションは、本当に難しい」
「なんでこんなに若者はヤバいのか、ほぼ若者でなくなった立場からそれを追究したいというのが、筆者の偽らざる執筆動機である。否定的なことは述べたものの、それでも若者と接し対話することには、得難い価値があると筆者は確信している。若者『ではない』人の多くは、じっくり若者と話す機会がない。親御さんでさえ(だからこそ)そうだろう。その点で大学教員というのは、いろんな場面で若者と話す機会を得ることができ(授業は最高の場だ)、一般的に気付きづらいようなことを見つけやすい、特権的な立場にあると感じている」
「Z世代と呼ばれる若者たちを観察することで、われわれが生きる社会の在り方と変化を展望しようというのが、本書のねらいである」
「しかし不思議なことに、コミュニケーションを重ねると、なんとなくわかってくる気もしてくる。本書は『われわれ』という主語を多用する。主語や目的語としてヘンじゃない?誰を指した『われわれ』なの?と思われるかもしれない。あえて『われわれ』と述べる意図は、若者と(筆者を含む)若者でない人とは、ゆうても地続きであって、いろんなものを共有していて、同じ穴のムジナなのだ、というメッセージが込められている」
と、序章だけでもこれだけ引用したくなる情報量ですが、以下、重要な部分を搔い摘みながら、解読していきたいと思います。
一章
「本書で語られる『若者』がいったいどんな特徴を持った人々なのか、クリアしておくべきだろう。既に世で話題になっている事象から、代表的なものをいくつか取り上げてみたい。1つ目はSNS。ザ・若者とも言うべき、自他ともに認める若者ツールである」
「インスタの特徴はいくつかあり、その1つに『フィルター』をはじめとする加工機能が充実していることが挙げられる。特に女性は、今や加工をせずに画像を上げる方が珍しい」
「そのくらい若者も自覚している。つまり、インスタの世界は『虚』だってことを(若者のこういう嗅覚は、けっこう鋭敏だ)」
「若者が、インスタをはじめSNSを用いる特徴には以下のようなものがある。匿名であり、鍵がかかっているということ。つまり、検索できない、無関係の人が簡単にフォローできないようにしているのだ」
「初対面程度の『友達候補』に、最も重要な連絡先を教えるのはリスキーである。まずインスタを教えて、もし『ハズレ』の相手なら、『ブロ解』すればいい。ブロ解、とは?これはインスタの仕様で、フォローされている相手を一度ブロックする。その後解除すれば、なん相手に通知されずにフォローを外せるのである。つまり、もう関係を切りたいな、、って思った相手にブロ解することで、連絡手段を絶てるのだ」
「インスタを交換しておいていざとなればブロ解。これが若者のコミュニケーションスタイル、のようなのだ」
「『自己満です』自己満。言うまでもなく自己満足の略である。つまり、『このアカウントは自己満足ですよー』という断り書きを掲げているのだ。これにいったい、何の含意があるのだろうか」
「いつも誰かとつながっている気分になれて、実は誰ともやりとりをしていない。そんなやりとりがコミュニケーションの中核になっているのが、Z世代なのである」
「友達に交じれば、いつも温かな、ヌルい雰囲気の中で快適に過ごせる。安息の場があってもよい。でも、逃げ場は日々闘っている人にこそ与えられるべきであって、四六時中逃げていたって仕方がない。互いに監視し合う関係の産物がぬるま湯だというのもまた、若者の偽らざるリアルであろう」
「大学への入学が決まったら、まずツイッター(現X)でアカウントを作り、投稿やプロフィールに『#春から〇〇大』タグをつける。そこでつながったら、『インスタお迎え』である。つまりそのままツイッターで絡むのでなく、インスタのアカウントを交換して、いったんインスタに移行する。不特定多数とつながるのはツイッターの方が適している一方で、ツイッターは他者から見つかりやすく、かつ民度が低くて、(!)、加罰性・攻撃性が高いゆえに若者からは敬遠されがちである」
「若者の生活は極度に友達に依存しており、孤独は恐怖である。友達ができないことや、イケてない友達ができてしまうことは、なにより怖い。なんとかしてイケてる側に存在していないといけない。友達にほだされるのは、別に近頃の若者に限らない。ただ近頃の若者はつながるための監視ツール、つまり、SNSが発達しすぎでいて、過干渉になりやすい。それは快適な住処というよりは、まさにSNSという檻に入れられた状態に見えてしまう」
「なぜ若者たちはテーマパークに熱狂するのだろうか。ビジネスの観点から見れば、テーマパークはかなりの設備投資を行う必要があり、要は装置にとことんお金がかかっている。その規模は鉄鋼メーカーや自動車メーカーに匹敵し、大学の比ではない。また、エンタメを徹底的に追及していて、とにかく楽しい。不快なものが極力排除され、楽しさだけで満たされた空間がそこにある。まさに夢の国だ。ただし、優良である。大学のテーマパーク化とはすなわち、大学を、不快を消し去ったとにかく楽しい場所だと見なす志向をさす」
「ちょっと考えてみてほしいのだ。YOUTUBEに見入って静かな子供が『いい子』だという意味を」
「SNSと大学という観点から、若者の分析をした。SNSと大学(学校)は若者のホームグラウンドで住処というべきところだ」
「近頃の若者を説明する概念としてなかなか巧いのが、次の二要素である。すなわち、若者は『ありのままでいたい」と『何者かになりたい』という2つの、ときに相反する願望を抱えているという分析だ。『ありのままでいたい』は『個性を重視』『素の自分』『無理につくらない』といったキーワードと結びつく。現代のありがちな、天然志向ともいえる。対して「何者かになりたい』は『自己実現』成長』『他者に誇れる』などと密接だ。SNSでも、『ちょっといい感じ』を演出するのがとても大事。他者から見て『いいね』といえる投稿であることが求められる。ポイントはあくまで他者から見てである。自己満足じゃダメなのだ」
「『ふつう』の感覚が狂いまくるのが現代である。若者よ、君が思う『平均』が何を根拠にしたものなのかは、立ち止まって考える価値がある」
と大学のテーマパーク化とSNSやインスタグラムの事を論じてらっしゃいます。
二章
「『Z世代は明確な定義がなされているわけではありませんが、一般的に1990年代後半から2012年頃に生まれた世代を指し、2023年現在、20代前半から10歳前後の年齢の人が該当します』『Z世代』という言葉の発祥はアメリカです。当時、アメリカで1960年から70年に生まれた人を指す言葉として使われていた『ジェネレーションX(Generation X)という言葉が由来といわれています。アルファベット順でXの次にくるのがYであるため、この世代を『ジェネレーションY(Y世代)』Y世代の次を『ジェネレーションZ(Z世代)』と呼ぶようになりました」
「『ゆとり教育』が語源。詰め込み教育へのアンチテーゼとして勃興し、『円周率を3にする』といったアイデアが世間を賑わせ、不興を買い、立ち消えていった教育改革である」
Tiktok。10秒程度の動画コンテンツが中心のSNSで、『女子高生が踊ってるやつ』みたいな理解をしている方も多いだろう(だいたい合っている)。人が踊るだけでなく、おもしろ・びっくり動画や、ニュースの切り抜きが投稿されこともある」
「『男らしさ』という概念がある。男は度胸、女は愛嬌とか。こういった概念は『生物学的に一方だけに特有に見られる傾向』を意味していない」
「『男らしさ』みたいなものは、本質として不変にどこかにあるものではない。社会が作り上げるものなのである」
「この世のものは、社会が作り上げている。そういった立場を社会構成主義と呼ぶ」
「推し活。これまた、現代を象徴する概念だ。アイドルをはじめとする崇拝対象、好意を向ける対象を『推し』と呼び、推しのために行う活動が推し活である。いわゆる歌って踊るアイドルにとどまらず、漫画やアニメのキャラクターやスポーツ選手、あらゆるヒト・モノが推しの対象となっている」
「旅行・ゲーム・読書などを推し活と呼んで、その推し活が『日本を幸福にしている』と主張しているのだ」
「『推し活は人を幸福にする』という言説を作るという目的が先にあるのだ。結論が先、バズるのが先、なのだ」
「推し活には希望しかない。幸福しかない。現実はあまりに醜悪で見るにたえない。つまらない学校。友達がいないと生きていけないけそ、互いに監視し合って息が詰まる。不安は募る。でも、推しはいつも輝いている。尊い。推しを推すどきだけが、自分を幸福にしてくれる。ただし、優良である」
「そして暴論を承知で言っておくと、すべてのインフルエンサーはモノを売るために存在している」
「インフルエンサーは、儲けるというビジネスの論理をかなり純化させていて、そのむき出しの論理によって駆動している」
「われわれは自分の意思でYouTubを視ているように思えて、その実、YouTubeを視させられているのであるのだ」
「『うちの子がまたYouTube視てる』ということは知っていても、その中身が、他者から視えなくなっているのだ」
「世界を推しとアンチに分断するという安直で、そして便利な世界観はSNS隆盛の現代においていっそう加速している。そして、集客によって金を生み出すという仕組み、つまりむき出しのビジネスの論理がその加速装置として機能していることは、見逃せない事実であろう。ビジネスの世界では、セグメンテーションといって、想定する顧客を細かく区切るのが当たり前である。で、マーケティングはその顧客だけを向いていておけばいい。20代女性向けのサービスは、30代男性の筆者には決して刺さらないし、刺さる必要もない。この『向いてる方と向いてない方』を分断するのが現代のビジネスの基本論理であり、この応用がアンチーアンチなのだ。インフルエンサーは客の方だけ向いておけばよくて、アンチは無視するか攻撃するのが正しい。繰り返すが、これはマーケティングの有力な手法というだけであって、人生の指針として正しいかはまったく別である」
「消費の対象として脚光を浴びているZ世代は、余計にビジネスの影響を受けやすい。ビジネスをバックボーンとして急拡大したSNSやインフルエンサーの影響を強く受けて、若者は日々を過ごしている。テーマパーク化された世界観の中では、一切の不快をを排除し、楽しさだけを得ようとする。金を払うことを条件としてほんのいっときだけ許される愉悦である。曇りのない楽しさに身を委ねるのが、Z世代がハマる現代のビジネスなのだ」
「企業は学生を脅して、不安を煽ってビジネスチャンスを得ることに躊躇がない。そして、学生は友達に弱い」
「若者の少なからずはメンタルが弱い。傷つきやすい。怒られ慣れていないのも無関係でないと思う。すぐ周りを見て、すぐ比較して、すぐ自身を失って、すぐ『病む』」
「情報商材が売れるかは別として、売るための発信が大量になされることが問題の所在だからだ」
「若者を観察することで、オトナであるわれわれがどんな構造の中に在るのかがわかるのだ。若者が頼りないなら、頼りなくたらしめているモノが、若者が輝いているなら、輝かせているモノがある。それを突き止めれば、それを作ったオトナたちに突き当たる。筆者の執筆動機も、そこに尽きる。あまりに理解し難い若者を理解しようとすることで、現代が、自分の生きている時代が理解できるようになる。この章では若者への悪口・非難が目立ったかもしれない。でもそれは、ねらいではない。じゃあここに書かれていることは、昔からまったくそうじゃなかったか」
「われわれは経営者化している。現代では、いわば経営者化する社会が確実に進行している」
「つまり現代とは、経営者に求められるような指標を、当たり前のように一般人に転化して用いている時代であり、あたかもわれわれ一人一人が経営者であるかのように、コスパに監視の目を光らせる時代なのだ」
「SNSを介して他者の目に怯える若者の言が語られた。一般人ですら、言動を監視され、炎上を恐れる。まるで、一挙手一投足が株価に影響するがゆえに注目される経営者のようではなかろうか。実際のところ、若者は自分の『株価』を異常に気にしている。株価を下げないように生きて、たまに粉飾決算する」
「経営者のやるような難題をふっかけて、難しすぎてできないので結局オトナがしりぬぐいをしている」
「学校に過ぎたるものを求めた結果、どうなっているのか、求めている側も立ち止まって考えてみるべき時期に来ている。高校生に経営者化を求めた結果、現実はどうなっているか。期待された成果は、本当に得られているだろうか」
「こんなに不安がうずまく背景には、個々の一般人にすら経営者のような才知や責任を求める『経営者化された社会』があるのだ。集約すれば、不快と不安こそが、ビジネスの原動力とすら言えよう。お客様の不快と不安をお金で解決しますよ、というのがビジネスの基本型であり、消費の主役である若者は、住処に居ても、ビジネスにまみれることになる」
と、友達との関係が消費に利用されているという事を主に指摘されております。
三章
「世の中には、悪徳商法とか、悪いビジネスみたいに言われるものがある。多少まわりくどい言い方なのを承知で、本書では『非倫理的ビジネス』と総称しよう」
「そのマルチ商法にも、若者が関わっている。国民生活センターによると、マルチ商法に関する相談を年代別に分けると20代がここ10年くらい最多になっており、近年は実に4割を数える。マルチ商法は『ビジネスをやっているように見える側が顧客』なのがポイントで、若者はマルチ商法を担うメイン層となっているのだ」
「戯画的に描いたものの、だいたいこれがモバイルプランナーのリアルである。もちろん文面にはバリエーションがある。ただ、『友達から連絡がくる』『営業をかけられる』『スマホの契約の話をする』といったあたりは共通項である」
「若者はテレビなんか視ないよと言われつつあるけど、やっぱりテレビは強い。余談だが筆者の印象では、昔ほどかじりついて視ていないというだけで、若者はまだそこそこテレビを視ている」
「モバイルプランナーは学生に注意する程度で済まない程度の余波も生み出している。モバイルプランナーを主導していた業者・A社は、2021年の4月に総務省から是正命令を受けている。『罪状』は、『携帯音声通信事業者による契約者等の本人確認等及び携帯音声通信役務の不正な利用の防止に関する法律』への違反。要は、本人に無断で勝手に契約を書き換えたモバイルプランナーがいたらしい。明らかに違法行為だ。こういった事例も、モバイルプランナーへの白眼視に拍車をかけている」
「商売から人間関係を切り離すことはできない。これは至言である」
「つまり現実として、人間関係を利用したビジネスは世にごまんとある。それが悪用かはおいといて、大手もみんなやっている。大手企業は看過して、学生インターンだけ叩くのはどうなんだろうか。アンフェアじゃないだろうか。そもそも社会の中で、人間関係をビジネスに活用することの是非は、真面目に振り返られてきたのだろうか」
「コミュ強の対義語に『コミュ障/症』がある。話すのが苦手なことを指す。明らかにコミュニケーション障害、つまりコミュニケーションを円滑に行えない疾病が由来だと思われるものの、病気をもとにしたらマズいという配慮(?)なのか、コミュ症と表記されることもある。アニメ化された『古見さんは、コミュ症です。』という人気漫画もあるくらい、浸透した言葉だ」
「今筆者が話した学生は、至極まともで、真面目で、色々なことに思慮をめぐらすことのできる人に思えた。少なくとも、怪しいビジネスになど手を染めない程度には」
「唯言論(lingualism)という概念がある。あまり一般的に用いられる言葉ではないものの、いわゆる認識論や存在論に関係の深い概念だ。一言で言えば、言葉のみの言葉、意味内容の存在しない言葉がある、というのである。。何をゆうてるのか」
「ブサイクに意味内容なんて必要ない。ブサイクって呼べばブサイクにしてしまえるのだ」
「このように言葉を弄すれば、『事実』などいくらでも構成してしまえる」
「唯言論的世界観には言葉しかない。実態を無視して、その言葉が正しいという空気さえ作ってしまえば、事実をいかようにもコントロールできる」
「ほんとに、言葉しかない、何も実態のない薄っぺらい世界を、若者は、われわれは、生きている」
「精神的負担という思い言葉さえあれば勝てる、という余裕の戦法である(実際勝った)。こんな『成功体験』を経て社会に出ていくZ世代がそれなりにいるであろうことを、皆様にお伝えしておきたい」
「しかし、酷い。酷すぎる、こんな社会に、言葉しかない薄い世界に誰がしたのだろう。Z世代だろうか。違う。オトナだ。オトナがやってるのを、子どもが真似してるだけなのだ。政治家やタレントを、見てみたらいい。言葉しかない。守られた公約など見たことがない。言葉は多々飛び交う中で、交わされた言葉がどれだけ現実に還元され、実になっているのだろうか。それらしい言葉だけが飛び交い、中身は何もない」
「まっとうな世界をグレーな世界の境界を超えたのはGoogle検索だった」
「誰でも使えるネットから、誰にも見えないコミュニティができて、そこで人知れず物事が展開していく。そういう性質を現代はたしかに抱えていて、若者はその渦中にある」
と、モバイルプランナーの仕事を軸に、現代の仕事と倫理の関係に言及されております。
四章
「当時、モバイルプランナーはなんと『月100万プレイヤー』『年間1000万プレイヤー』がいたという」
「Z世代はコスパ・タイパを重視する(らしい)。そして平均ちょっと上をめざす(らしい)ので、無駄な努力は嫌いだ(と言われている)。そんな世代の若者が大学を休学してまで何かにのめりこうというのは、なかなか並々ならぬものがある」
「モバイルプランナーは明らかにビジネスとして継続的な収益が得られる構造になっていないことである」
「そもそもこんなビジネス、長続きするわけがないのである。その証拠に、A社の社員はほとんどすべて学生インターン、そして歩合給である。正社員を雇用し、固定給を最低賃金程度に支払うほども収益が期待できないので、成果報酬にするしかないのだ」
「インスタが一世を風靡し有名になった背景には『インスタ映え』という概念があった。キラキラした投稿、いかに自分が輝いているかという投稿をして、たくさんのいいねを稼ぐ。それはまた、あふれる自意識やフォロワーへの媚びを感じさせるものでもあり、Z世代からすれば既に『イタい』ものと化した、過去の遺物でもある。そしてインスタ映え意識の投稿は、実はインスタにとっての不都合もある」
「どこまでも熱く突っ走り、深くに潜っていく前のめり上昇志向と、それを支える舞台装置だった。ちょっと古くてダサいSNSの使い方をしながら、友達商法に手を出して後ろ指さされながら、それでもてっぺんをめざす若者たちがたしかに存在したことが、ありありとイメージできた」
「モバイルプランナーにのめり込んでいった人々はやっぱりイタくて、白い目で見られるのも仕方ない。SNSの使い方も、古くてダサい。でも、止めるわけじゃない。本人らが頑張ってたらいい。それだけ頑張った人々に、頑張らなかったわれわれは、何が言えるだろうか(言えないよね)」
「ルーマンによるコミュニケーション論を扱った論文にて、『道徳の対称性』という概念を提示している。ざっくり言えば同じ立場にないと道徳的糾弾はできないのかどうかという問題である。すなわち、頑張ってないヤツが頑張ってるヤツに言えることなんてない、とZ世代は考えがちである。対称性をとても大事にしているのだ」
「熱血とか自己啓発とか抽象的な努力目標を掲げること、物語を共有して共通目的をめざすことを、Z世代はみな宗教扱いする。Z世代は熱くならない。周りが見えなくなるくらい熱中する前に自分をきちんと冷まして、客観視して、『コスパがそれほど良くない』『宗教のようである』としてブレーキをかける傾向がある」
「考えれば考えるほど何も言えなくなる相対主義のきわまった社会で、堂々としている人々もいる。(一部の)企業だ。ビジネス化されたものは、他者に突っ込んでいく気概を誰もかれも失った社会において、本当に躊躇なく、われわれの中に踏み込んでくる」
と、実質的に儲からないモバイルプランナーの仕事がなぜ受けるのか、その原因に迫っております。
五章
「繰り返し確認すると、ここまで本書の構成は「時系列」である。まず若者を『SNS』と『大学』という2つの側面から読み解くそして『ビジネス』と『経営者』というキーワードから、若者を取り巻く構造をより明瞭化する。次に『就活』のフェーズが来る。若者を支配するガクチカ、インターン、コミュ力、そして成長神話」
「労働環境が改善されているにもかかわらず不安感や疲れは増大しているという矛盾が、そこにはある。ちなみに日本だけではなくアメリカでも同傾向だそうだ。雇用側である会社からすればかなりの難問である。働きやすさを改善しても、社員の不安が消えないというのだからだ」
「実際、インフォーマルコミュニケーション、つまり職場外での非公式なやり取りが持つ効果については経営学でも昔から検討されているし、概ね良い効果への注目が高い。飲みニケーションだとか『古臭い日本の旧弊』とか言われがちなものの、たとえばアメリカ社会は概ねインフォーマルコミュニケーションに積極的で、重視する社会だ。むしろ、そういった『社交性』を持たない人々への扱いは非常に厳しい側面もある」
「人種を根拠として行われる差別がレイシズムなら、年齢を根拠にするのがエイジズムだ。飲み会をダシにしたオジサン批判はエイジズムである。むろん、若者を(若者だというだけで)ただ揶揄する言説もエイジズムなので、本書も十分に気を付けないといけない」
「明らかに、オトナが怒らなくなったのだ。つまり怒られなくなったのZ世代のせいではなく、オトナの事情なのである」
「アンガーマネジメントという概念が流行るように、怒る人はそもそも間違っていて、なんらかの病気かもしれなくて、人前で怒ること自体が恥ずかしいし避けられるべきだ、という志向性がますます定着している。これは、怒ることに教育効果がないというより、怒ること自体を絶対に否定する時代の流れである」
「一度も怒られたことのない割合が近年急増している一因は、管理職研修にもあるだろう。怒る/叱る問題は、実は怒る側の方便にもなってしまう。ハラスメントに類する問題が浮上した「怒ったんじゃなくて叱ったのだ』という唯言的な言い訳を許してしまうことにもつながる。だから『疑わしきは禁止せよ」で、一切怒るな、と指導されるそうなのだ」
「みんな上司をやり玉に挙げるのだけど、見過ごされている事実がある。上司は会社の代理人として振舞っているにすぎないという点だ。チェスター・バーナードという著名な経営学者が『組織人格』という概念を提唱している。組織における人格が、個人の人格とは別に存在するというのだ。多くの上司は、個人的にどう思うかにかかわらず、会社に命じられて、怒るかどうかを決めている。個人的にはどうでもいいけど組織人として対処することもあるし、個人的には注意すべきだと思ったけど組織人としてスルーした、ということも起きうる。ちなみに、いわゆる大企業ほどこの傾向は強まるだろう。大企業ほど管理職向けには丁寧に研修するし(一般論としては、研修なそ社員教育にリソースを割く企業はよい企業である)、コンプライアンスを気にして強い統制を行っている。つまり結論としてはにべもないものだけども、会社として揉め事にならないように怒らなくなった、というだけといえばだけなのだ」
「最近の若者を見ていると、冗談ではなく、怒った人を見たことがないのではないかと思うことがある。怒ることが教育として間違っているという観念が浸透し、ご家族の方針として怒らないと決めているケースもあるだろう。先生や上司はさらに(組織の事情で)怒らなくなっている。この経験のなさは危険であもある『怒り』について免疫がなさすぎるのである。いくら間違ってるとか悪だとかラベリングしたところで、喜怒哀楽というように『怒』は人間のきわめて基本的な感情である。怒る・怒られることから逃れて生きることは珍しいし難しい。怒りを排除した教育は、車の一切通らない道で交通マナーを学ぶようなものだ。実際の道路には車がバンバン通るし、車は重大な交通事故の主要因なわけだから、車を排除して交通マナーを学んでも、実践的意味は薄い(これはもちろん、怒ることの正当化ではない)。結果として、驚きあきれるようなことが、教育現場では起きがちだ。ちょっと怒るとこの世の終わりみたいな顔をする学生は、けっこういる。めちゃくちゃ楽しそうに笑顔でおしゃべりしていて、うるさいよ静かにして、と言うと一瞬でこの世の終わりのようなツラに変わる。この人ら、私語をしたら怒られるって知らないのか?って思ったりする。たぶん知らないのだ、怒られてこなかったから、怒ることを、オトナが放棄してきたから。私語をする若者に怒ると、逆にオトナが怒られる。若者が委縮してしまったらどうする。トラウマになったらどうする。前向きにしゃべっているだけだ。自分で考えて更生する機会を奪うのか。お前が不機嫌なだけではないのか・・・。何の中身もない言葉で怒りを排除してきたのは若者ではなく、オトナである。このような背景を経て、怒られたときの若者のリアクションは2パターンある。まずはこの世の終わりのような顔をする。次に、徹底して『自分が悪くて怒られたわけではない』と抗弁するパターンである。言葉は悪いが、怒った学生から粘着質的に、しつこく絡まれることは珍しくない。筆者にとっては希少例ではない。自分たちが起こられたという事実からは論点をそらしつつ、怒られる背景となった要因(たとえば、授業コメントへの返答)についてネチネチと苦情を述べる。『私たち怒られましたけど、あれ、私たちは悪くないんですよ。授業の構造の問題なんです』と言いたいかのようだ。なんでここまでしつこく絡むのだろう。なんでそんなに怒られたくないのだろう。よほど自意識が強いのだろうか、と思ったこともある。たぶん違う。怒るというのはありえないことで、だから怒られるのはよほど恥ずかしいことをした証明だ、と教わってきたからだ。怒ることを世の中から排除した結果、よっぽどのことをしないと怒られないので、怒られるヤツというのは相当恥ずかしい。ヤバいヤツだということになる。こう認識した結果、怒られるお前は最低だ、社会の底辺だ、みたいに感じてしまうのだろう。とんでもない勘違いである。怒りという基本的感情を排除した余波は、こんな意外なところにも及んでいるのだ」
「ただし、ほとんどの若者は必ずしも怒る・怒られること自体を否定してはいない(怒ることを忌避して排除しているのはオトナである)。怒られることに異常ともいえる反応を示すのはごく一部である(が、たしかに存在しているし、増えていくだろう)。本章の冒頭の遅刻の例で、学生に『自分が部下だとしたら怒られるべきだと思いますか?』と訊いても、案外『怒られるのが当然』と言う人は少なくない。ざっくり半数くらいは、まあそれは怒られるべきじゃないの、と思っている。理由として多いのは『怒られないのは逆に、見捨てられているような気がする』という意見だ。怒ることを正当化するわけじゃないけど、愛情ゆえの怒りというものも当然存在する。若者は過度なくらい感情の世界では生きていて、だからこそ愛してほしいのだ。ただまあ、ちょっと都合が良い。『メンタルにくるようなのは止めてほしい』『諭すように怒ってほしい』『頭ごなしに…』『感情的に…』非常に細かい注文がつく。お金を払ってるお客さんにだったら細かいニーズでも応えようとするのだけど、相手は部下だ。お金をもらってんじゃなくて払ってる相手だ、一番選ばれやすい答えはきっと、そうだ『めんどくさいから怒らないで、放っておく』だ」
「大学でも職場でも、厳しくすることがほんとにできなくなっている。オトナは若者を怒らないし、怒れなくなっている。結果的に若者の機会を少なからず奪っているとすら思うけど、でもこの流れは止められない。それが『時代』なのだ。時代ってなんなのか誰もよくわかってないけど、そうなっていったらもう抗えない、あまりに強い濁流。この令和の新しい時代に、若者はとても『むごい教育』を、残酷なことをされているのかもしれない。怒られない社会・怒られない職場の病理は2つある。まず、若者の免疫があまりにも弱体化して、かえって怒(られ)ることを過大視しすぎてしまっていること。私語を注意するなんて何の気なしにされるようなことなのに、された方が人格否定のように、取返しのつかない過ちを犯したかのように感じてしまう。もう1つは、怒ることをネガティブに捉えすぎるがゆえに、もし若者が怒ってほしい・怒られるべきだと思っているときでさえも、上司は怒らないことを選択し、それが最善手になってしまうという問題である」
「話を戻そう。若者が不安を感じている、という話だった。職場に不満があって離職することを不満型離職と呼ぶならば、職場への不満は確実に軽減傾向にある。でも、不安がある。不安ゆえの離職を不安型離職と呼ぶ。若者の離職は、不満型離職から不安型離職に移っている、らしい。そして、解決策としての飲み会は不安をまったく解消しない、らしい」
「不安を売り物にしたり、無知を利用して騙すような売り方をするのは卑怯なことだ」
「何が言いたいかというと、企業は騙すし裏切る(ことがある)ということを知って防御策を講じることもまた、企業や企業に関わる個人には必要なのである」
「成長実感は成長がなくとも成立する概念だ。成長は大事なのだけど、未熟な若者が成長実感をすることを重点指標において、本当に良いのだろうか」
「繰り返すが成長実感に実際の成長は必要ないのだ」
「ガチャだの喚いている他責思考の人々に、当たりなど永遠に回ってこない。当たりを当たりだと認識する認知能力がないからだ。あるいは、スジの良い状況を当たりにもっていく力がない。自ら周囲に働きかける力なくして、当たりを引くことなどありえないのだ」
と、前の章まで学生だった方が、就活でいきづまる事を食い物に利用されたり、若者に怒れなくなっている現状に警鐘を鳴らしてらっしゃいます。
六章
「就活がZ世代に与える影響と重圧は凄まじく、ときに非論理的ビジネスを肯定する材料にすらなる。ガクチカ、インターン、就活をとりまく状況はきわめて唯言的で、意味内容の伴わない「唯の言葉」にZ世代は翻弄されている」
「Z世代はわれわれのーZ世代以外を含むー社会の構造を写し取った存在であり、写像であるということだ」
「たとえば『体罰』について考えてみる。現代では体罰は限りなく忌避されるし、加害者が明示的に罰を受けることも多い。ところで、なんで体罰がダメなんですか?と理由を考えてみよう。多くの方は『そういう時代だから』と答えるのではないか。あえて断言しよう。時代だからって言う人は、時代が許せば『やる』側に回りうる。つまり、みんなダメって言うからやらないってことであって、こういう方は、時代が許せばやる側に容易に回っていく、殴る時代が(再び)来れば、体罰を糾弾していた同じ人が、堂々殴るようになるはずだ。それって怖いことじゃないだろうか」
「自分にぴったり合った仕事というのは、世の中に存在しないことが普通です。卓越した経営学者は言う。ぴったり合った仕事など、ふつう世に存在ないのだと。ミスフィットは、必然的に生じるのだと。ほんと、なぜ?どうして?転職エージェントは(ガチャを回せば)あなたにぴったり合った仕事が見つかる、って言ったじゃない」
「テーマパーク化された生活に慣れきって楽しさの水準をそこに合わせてしまっている人は、仕事が楽しくなくなる。テーマパーク化の罠である」
「リアリティショックは逆に事前期待の高さゆえに起きているのではないかと推察している。つまり、(何も知らないのに)会社に期待しすぎているのだ」
「楽しい仕事なんて、ない。仕事を楽しめるかどうかはあなたが楽しみ方を知っているかに尽きる。つまり、あなたが楽しみをクラフトして(再)創造しない限り、仕事に楽しさなんて生まれることはない」
「楽しい仕事に就くのじゃなくて、楽しさを見つけるように生きることで、われわれは簡単に消費されない楽しさを享受することができる。教育とは、そのためにあるものだ。楽しさを発見する過程を支えるためのものだ」
「若者が離職するかもしれないと不安になったとき、会社としてやるべきことは不安を取り除くことではない。不安の中でいずれ希望を掴めるはずだ、と思わせることができるかどうかである」
「今必要なのは、大海を見渡すことだけではなく、たしかな一歩をとりあえず前に踏み出すことだ。目の前の仕事に没入することだ。海の広さを感じる前に、大海を制する夢を見る前に、水を怖がる子どもを、少しでも一歩先に進ませないといけない。ベイビーステップを、1歩ずつ歩むべきなのだ」
と、就職してもすぐ離職するZ世代向けに、今いる会社ややっている仕事に意味や意義を積極的に見いs出せば、働けると勧めてらっしゃいます。
おわりに
「筆者を嫌い、憎むZ世代は数多いるはずだ。でも、そうであっても、不信と苦悩から生まれる知も必ずあることを、デオドランド化する社会の中でこそ、筆者は主張したい。雑菌からバイオ創薬できるかもしれない、と根拠もなくあがいた末に何か生まれていれば、望外の喜びである」
と否定する方の多いであろう本書の読者に向けて最後の言葉を寄せてらっしゃいます。
以下感想を(読まないでいいです)。
Z世代と呼ばれる方々を、SNS、インスタグラム、大学、就活、仕事、というキーワードで分析した内容だと思いました。実際にそういう方々と日々接してらっしゃるそうで、信ぴょう性がある様に感心しました。
個人的にはX世代と呼ばれた世代で、今(2024年くらい)50代なので、中で批判されているオトナの中に入るみたいで、Z世代の方々が生きにくくなっている原因があるみたいで申し訳ないです。
大学に全入で、携帯電話を持っているのが必然だそうですが、私の場合、大学にいっておらず、携帯電話も持っていないので、SNSやインスタグラムもしていないのですが(理由は人望がないのと金がないので)、大学に行って、携帯電話を持っている事が前提で話が進んでいく序章から、違和感もありましたが、大学に行っていたり、携帯電話をもっている性で、却って若い方が生きづらくなっている事は判りました。ただ、今携帯電話を持たない事がありえない事になったいる様なので、持ちつつ如何に生活にいかしたり、仕事に生かしたりが重要に思えました。
著者の方は89年生まれだそうで、色々分水嶺だった時代で、ベルリンの壁がなくなったり、天安門事件があったり、昭和天皇が崩御されて平成になったり、「羊たちの沈黙」が翻訳され「空飛ぶ馬」が刊行されたり、ストーン・ローゼスとニルバーナがデビューしたり、(テイラー・スィフトさんが生まれたのも89年らしいです)、今から思えば現在の問題の端緒にあたる時代だった様で、個人的にも、あの時こうしていれば・・・という後悔が多く、今時給で働いて労働の割りに対価が安いので、疲れますが、本書を読んで、「合う仕事などない、今の仕事から何かを見いだせ」というのが胸に刺さりましたので、あまり安易に離職を繰り返さないで、今現在をよくしようかとか思いました。
Z世代はわれわれのーZ世代以外を含むー社会の構造を写し取った存在であり、写像であるということだ、という社会論。必読。
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冷酷な社会の分析ではなくあたたかく実現可能な提言
2026年5月8日に日本でレビュー済み内容は社会全体がZ世代化している、ということについての筆者の調査に基づく論の構成になっています。しかし、個人的にはそのような社会で若者も若者以外もどのような考えで生きていくのが良いかという筆者の提案に本旨があるのではないかと私は感じました。
そう感じるに至った部分を以下に引用します。
内発性信奉の罠
社会心理学者の古川久敬は「内発性信奉」という概念を提示している。世の中で内発性が過大視されすぎているのではないか、という指摘だ。内発性とは、外発的つまり外部から与えられるのでなく、自分の内部から動機付けされていることを指す。要は、「好きな仕事だから頑張れる」みたいなアレだ。
もちろん、好きなことを仕事にできるとか、仕事が好きになるとかは素晴らしいことだ。そういう人は幸せだとも思う。同時に、それはかなり難しい。いろんな意味で難しい。古川は「マルチタスクの罠」について解説する。すなわち、マルチタスクを求められる職場において特定の仕事に内発的動機付けが高い人は、他の仕事の内発的動機付けが低くなる傾向があったというのだ。
具体的には、百貨店の店員が挙げられる。百貨店の店員は、ざっと接客、商品棚の補充や整理、バックオフィスでの事務仕事、後輩への教育や上司への報告など社内コミュニケーション、といった複数の仕事(マルチタスク)をこなすことが求められる。このうち、たとえば接客が大好きで自分は接客業が天職だと思っている従業員は、逆に他の仕事にモチベーションが湧かない、ということが起き
るのだ。
非常に納得できるメカニズムではある。「好きな仕事には前向きになれる」というキラキラした思いは、「好きじゃない仕事は前向きになれない」に簡単に転化する。この2つの命題は「裏の命題」の関係にあって、片方が正しかろうがもう片方が正しいとは限らないのだけど、この2つが同時に成立すると思っている人はあまりにも多い。「仕事を好きにならなきゃ」という真っ直ぐで美しい志向は、なぜか「好きじゃないと頑張れない」にすり替わって、内発性を奉する人々自身を苦しめている。
決して「現実は醜悪なんだよ。夢を見るな」なんて言いたいわけじゃない。ただ、「仕事を好きにならないと」「仕事を楽しめないと」と思うことは、自縄自縛につながる。特に職場では自分で自分を苦しめるような規範になってしまう可能性が高いのだ。
ましてや、オトナが無責任に「楽しめる仕事を選ぼう」なんて、とてもじゃないが言うべきことじゃない。そういう観念が浸透してるとしたら、そりやリアリティショックは起きるわけだ。もっと言えば、楽しい仕事なんて、ない。仕事を楽しめるかどうかはあなたが楽しみ方を知っているかに尽きる。つまり、あなたが楽しみをクラフトして
(再)創造しない限り、仕事に楽しさなんて生まれることはない。仕事はテーマパークでも、ゲームでもない。あらかじめ用意された楽しみをしゃぶり尽くすようなエンタメではないし、楽しむためのチュートリアルをしてくれる娯楽でもない。
楽しい仕事に就くのじゃなくて、楽しさを見つけるように生きることで、われわれは簡単に消費されない楽しさを享受することができる。教育とは、そのためにあるものだ。楽しさを発見する過程を支えるためのものだ。
以上引用です。特に最後の段落には、教育に関わる者としてとても励まされました。
これ以降の新入社員が会社にリターンを与えられるのはおよそ10年かかる、だから簡単にやめない方が良いというのもなるほどと思わされました。
そして全体を通して読み手を楽しませようというサービス精神のある文体にも魅力を感じました。個人的には汚物は消毒だ!のところで笑ってしまいました。
以上、とりとめのない内容になってしまいましたが、本書は社会に対する冷酷な分析ではなく、あたたかみのある実現可能な提言なのではないかというのが私の感想です。
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周囲に支配される決断
2025年11月25日に日本でレビュー済み本書は、思わず自分の言動を振り返り、過去の状況を思い浮かべてしまうほど、大学生である私から見てもZ世代の特徴を的確に描写していると感じた。その中でも特に印象に残ったのは、「友達と違ってたら嫌」という言葉である。
著者は就職活動の場面を例に挙げ、「友達と違っていたら嫌ですよね?」と不安を煽られ、友達という言葉に弱いZ世代の傾向を指摘する。
実際、何かを始めるきっかけが友達であることは少なくない。就活もインターンもSNSも、まずは「友達がやっているから」という理由で手をつける人がいる。私自身も、友達が先に行動し始めたことで焦り、就活を始めた経験がある。
しかし問題は、きっかけに過ぎなかったはずの友達を、いつの間にか「自分の決断理由」にすり替えてしまう点にあるのではないか。友達の存在を意識しすぎるあまり、本来は自分で考え、自分で決めるべきことまで、他者を基準に判断するようになる。これが悪化すると、潜在的な他責思考へとつながる。友達のせいだと明確に思っているわけではないものの、自分の中で納得して導き出した答えではないため、結果に不満が生じた際に環境や他人の影響を過度に感じてしまうのかもしれない。
Z世代は、友達を含む周囲の存在に支配されすぎているように思う。最終的に責任を負うのは自分自身である以上、決断の主体は自分でなければならない。周囲を参考にしつつも、あくまで自らの意思で選び取る姿勢が必要だと感じた。
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ええかげんがいい加減
2024年11月17日に日本でレビュー済みエンタメ書。結論が身も蓋もないのだが、まあ真実はそういうものなのだろう。真相は藪の中。計算ずくでこの落とし所に持ってきているのはいかにもZ世代という大雑把な概念を捕まえるには相応しい。でも、真面目な場ではこの本、ちょっと砕け過ぎていて困る。と、企業の人事担当からのお願いなんですが、上司に薦めたらなんと言われるか不安になるような事がいろいろあるので、そういうの濾過してもう1冊同内容の書籍を期待。あざといけどわかった気になる良書?
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若者の描写はリアルで刺さった。ただ「で、どうすれば」への答えが薄かった
2026年7月19日に日本でレビュー済み部下がZ世代ばかりになってきて、何を考えているのかわからないと感じることが増えてきたので手に取った。
読んでみて、面白い部分と物足りない部分がはっきり分かれた本だった。著者が大学で実際に学生と向き合っている人なので、Z世代の描写がリアルで、「あ、これうちの若い子もやってる」と思う場面が何度もあった。「怒ること自体を否定する」「傷つかないように自虐を先に使う」あたりは、読んでいて少し苦しくなった。自分が若いころと何かが違うのに、その違いをうまく言語化できずにいたものが少しほぐれた感じがした。
ただ、副題にある「お客様になっていく若者たち」という視点が後半になるにつれてやや薄まっていった気がして、読みながら「で、自分はどうすればいいんだっけ」という問いへの答えがもう少し欲しかった。第6章で一応まとめはあるのだが、やや抽象的で、マネジメントの具体的なヒントを求めていた自分には少し消化不良だった。
Z世代を批判する本ではなく、一緒に悩もうとしている本だというのはわかった。ただ、実務に使えるか、と言われると難しい。読み物として面白かったが、職場の問題が解決したかというとそうではない。
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SNS時代の歪みを照らす、痛みを伴う分析的な一冊
2025年11月8日に日本でレビュー済み本書は「理解不能な若者=Z世代」という通俗的な見方に対して、Z世代的な思考傾向は“若者固有の問題ではなく、社会全体の写像である”と主張する。しかしZ世代の一員として読んでいると、思い当たる箇所が多く、反省と自戒をおおいに感じさせられた。
特に印象に残ったのが「ガチャ思考」の議論である。
現状に少しでも違和感やストレスを覚えると「ここはハズレだ」「次のガチャを引こう」と、他責と現実逃避に振れる。「ここではないどこか」に際限なく希望を置き、「好きなことなら頑張れるのに」と言って、環境のせいにして移動を正当化してしまう。しかし実際には、今いる環境の“上限”まで努力しきったわけでもないし、学べることを吸収しきったわけでもない。それでも「ここはもう底だ」と早々に見切ってしまう。このメカニズムは非常に共感できた。
なぜこうなりやすいのか。 私はSNSに代表される情報社会では結果だけが簡単に見えてしまうからだと考える。SNSに露出するのは、往々にして“成功した後”である。プロセスの泥臭さは伏せられ、きれいな成果物だけが表面に浮く。その結果、「隣の芝生」どころではなく、世界中の芝生(自分以外)が青く見える構造がつくられてしまう。
本書は「他責への逃避ではなく、踏ん張りと学習に向かうべきだ」と指摘する。これは単なる根性論ではなく、プロセスを見ずに「結果の青さ」に幻想を抱く認知を、いったん切り替えよという提案だと解釈した。
世にあふれる成功の“結果だけ”に目を奪われるのではなく、今いる環境での学習・蓄積に腰を据える。その姿勢こそが、Z世代化する社会に対して、私たち自身が取り得る第一歩なのだと思う。
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