Learn more
| Amazon Points: | +12 pt (1%) |
These promotions will be applied to this item:
Some promotions may be combined; others are not eligible to be combined with other offers. For details, please see the Terms & Conditions associated with these promotions.
Your Memberships & Subscriptions
Download the free Kindle app and start reading Kindle books instantly on your smartphone, tablet, or computer - no Kindle device required.
Read instantly on your browser with Kindle for Web.
Using your mobile phone camera - scan the code below and download the Kindle app.
面従腹背 (毎日新聞出版)
- LanguageJapanese
- Publisher毎日新聞出版
- Publication dateJune 25, 2018
- File size2.3 MB
Customers who viewed this item also viewed
Product description
About the Author
1955年奈良県御所市生まれ。東京大学法学部卒業。1979年、文部省(現・文部科学省)入省。宮城県教育委員会行政課長、ユネスコ常駐代表部一等書記官、文部大臣秘書官などを経て、2012年官房長、2013年初等中等教育局長、2014年文部科学審議官、2016年文部科学事務次官に就任。2017年1月、退官。現在、自主夜間中学のスタッフとして活動。
Product Details
- ASIN : B07HFS42V9
- Publisher : 毎日新聞出版
- Accessibility : Learn more
- Publication date : June 25, 2018
- Language : Japanese
- File size : 2.3 MB
- Text-to-Speech : Enabled
- Enhanced typesetting : Enabled
- X-Ray : Not Enabled
- Word Wise : Not Enabled
- Print length : 174 pages
- Page Flip : Enabled
- Amazon Bestseller: #343,978 in Kindle Store (See Top 100 in Kindle Store)
- #328 in Japanese Administration & Government
- #3,159 in Politics & Government (Kindle Store)
- Customer Reviews:
About the author

Discover more of the author’s books, see similar authors, read book recommendations and more.
Customer reviews
Reviews with images
面従で生き国民の為に腹背で公僕をやり遂げた
Top reviews from Japan
- 5 out of 5 stars
教育とデモクラシー
Reviewed in Japan on June 14, 2026祖父は戦前・戦中、「国民学校」
(1941年、小学校から改称)の校長を
つとめていました。敗戦まで「御真影」は
結果として守ったものの、自分の子供は
娘を一人、「学童疎開(集団疎開)」先で
亡くしました(栄養不良と精神的衰弱)。
戦後、祖父は黙して語らなかったのですが
国家と教育の関係について何か、考えている
ようでした。祖父から引き継がれた問題意識
のもと、今回、本書を購入して読み、共感
するところが大きかったのでレヴューを書く
ことにしました。
本書は、2017年1月、事務次官を最後に
文科省を退官された著者による、公務員
(官僚)としての回想記です。
ゆるやかな「編年体」風の記述で
1「文部官僚としての葛藤」
2「面従腹背の教育行政」
3「教育は誰のものか」
…とテーマごとに3つの章にまとめられ
4章が鼎談、および
「はじめに」「おわりに」「独り言集」
という構成になっています。
本書を読みつつ、評者が考えていたのは
イ)国家とは何か?
ロ)その公務員(官僚)とは何か?
ハ)教育とは何か?
二)民主主義とは何か?
…と、大きくて根源的なテーマです。
特に、「独裁制」でも「貴族制」でもない
政治体制としての「民主主義」については
空から降って来ないし、棚から落ちてくる
ものでもない。しっかりと意志を持って
つかまえておかないと、時流や権力によって
流されてしまうものである、という危機感を
持っています。そして本書を読んで、教育と
民主主義の維持/浸食は密接な関係にある、
と感じました。
民主主義は、古代ギリシャにルーツがあり
デモス demos = 民衆や人民
クラトス kratos = 支配や権力
(あるいはクラティア kratia)
…の2つが合わさって、
デモクラティア demokratia を経て
デモクラシー democracy となりました。
自由民権・民本主義の時代の先人は
「デモクラシーでも暮らし良い」
と唱えて新しい英単語を覚えた由です。
本書第3章で言及がある、教育勅語について
民主主義の観点から、考察してみましょう。
民主主義を成す要素として、三本柱たる
①国民主権
②基本的人権
③法治主義=法による支配
…が挙げられます。モンテスキューによると
③は具体的には三権分立であり、根源的な
レベルで言うならば、立法府が作る「法」に
よって治めるのが法治主義である、という
ことになります。この観点から見ると
教育勅語はそもそも「法」ではありません。
明治天皇による「お言葉」です。
1890年10月30日、明治天皇が宮中に、総理
大臣と文部大臣をお召しになり、文部大臣に
下賜されたのが教育勅語、という外形的事実
になります。あくまで「お言葉」ですが、
実態としては国法よりも国憲よりも上位に
位置する最高の「権威」「権力」となって
しまっていました(これでは法治主義では
ありません)。
国土が焼け野が原になってしまった敗戦後
これではいけない、という反省に立ち
1948年6月19日、国権の最高機関である
衆院では「教育勅語等排除に関する決議」
参院では「教育勅語等の失効確認に関する
決議」が成され、
両院で教育勅語が否定されました。
1944年「学徒動員」で旧陸軍に召集された
「皇軍」兵士・安岡正太郎(1920-2013)が
戦後、同じ作家・開高健(1930-1980)と
対談し、その中で、教育勅語に統治された
国民のものすごいところが軍隊に出ている、
日本から外に出てみると、教育勅語は
怖るべきものであったということが
おぼろげながらわかってくる、という主旨の
発言があります(『午後の愉しみ』所収)。
「軍人勅諭」(1882年1月4日発布)も
「戦陣訓」(1941年1月8日布達)も
ありましたが、それ以上に実は、教育勅語が
皇軍兵士を支配していたことが分かります
(軍人勅諭は長いし原文は万葉仮名であり
全員に普及するには向かなかった)。
ちなみに教育勅語には「12の徳目」があると
されますが、1から11番目までが通常時の
徳目であり、それらがすべて12番目の徳目
(緩急ある時=有事の際の徳目)にかかる
構文になっています。なぜなら11番目までは
連用形であり(現代文なら読点)、12番目が
終止形(現代文なら句点)だからです。
従って教育勅語のエッセンス(淵源)は
12番目にあることが分かります。皇軍兵士が
いわゆる「強い」とされたのもさもありなん
と感じます。ちなみに
11番目は、国憲(憲法)を重んじて国法
(法律)を遵守しなさい、です。事実上
国憲の上に超越的に存在していた教育勅語が
国憲重視を説くのは自己矛盾かもしれません。
3番目は、夫婦は相和しなさい、であり、
現在の民法なら752条に相当します。つまり
出張先で妻以外の女性と同じ部屋に宿泊する
ことは言語同断です。
本書第3章で、1948年の国会で否定された
教育勅語の全否定の否定(部分的な肯定)の
動きがいくつか記述されていますが、その
主張の人たちは、教育勅語を読んだことが
ないか、実は信じていないか、12番目が
ターゲットで、他はスルーしているのか、
いずれにせよ論理的に首尾一貫していない
と言わざるを得ない、と本書を読んで
感じました。
最後に、本書は公務員(官僚)としての
回想記であるため、娯楽のために気軽に
読める本ではないと思いますが、記述は
具体的かつ正確です。令和の今、半導体でも
パソコンでも、スマホでも、白物家電でも、
EVでも、近隣諸国に負けてしまい、
下がるのは「円」の価値と日本の国力、一方、
上がるのは物価、無いのはナフサ(医療用
グローブや透析用資材、建築用資材、または
エンジンオイルにシンナー、お菓子の袋)
という、ある意味、緩慢な「国難」です
déjè-vu のように、焼け野が原が
見えるような気がすることもあります。
経済力の復活は民主主義の上にこそあると
考えます。本書を読んで、民主主義について
考えることはその一助になると思います。
One person found this helpfulSending feedback...Sending feedback...HelpfulThank you for your feedback.Sorry, we failed to record your vote. Please try againThanks, we'll investigate in the next few days.Sorry, We failed to report this review. Please try again - 5 out of 5 stars
マスコミやニュースで知りえないものとは?
Reviewed in Japan on March 19, 2024政権に最も近い立場で見聞きした自身の知見が紹介されている内容です。権力を手にした政治家(権力者)がいかに私物化しこくみんを犠牲にした政治をしてきているかを垣間見れる内容です。「無関心な国民」が増えれば増えるほど、私利私欲に走る政治家を生む温床になりうるのだと気づかされる。様々な情報の中から「何が真実か!」を見極める努力を続けることの大切さ。不条理に抗う行動の必要性。真の民主主義国家を取り戻すための指針の一つです。
4 people found this helpfulSending feedback...Sending feedback...HelpfulThank you for your feedback.Sorry, we failed to record your vote. Please try againThanks, we'll investigate in the next few days.Sorry, We failed to report this review. Please try again - 4 out of 5 stars
「佐川になるな。前川になれ。」
Reviewed in Japan on April 26, 2020霞ヶ関でこんな風に生きて、事務次官にまでなるなんて。短い期間ではあったが、霞ヶ関に身をおいたことのある者の、率直な感想である。
多くの人間が、志を持って官僚になる。当然、権力志向を持った人間は入省当時から多いが、当初から権力志向だけの人間はほとんどいない。しかし、その志は、国民を向いた目線は、日々の仕事の中で摩耗し、諦めに向かって行ってしまうか、組織の是と国民の是の自分なりの判断がつかなくなってしまうか、はたまた組織の中での権力だとか昇進だとか保身とかそういったものしか目指せなくなってしまうか、そういうことが多いように思う。
前川氏の生き方だけが官僚としての生き方ではないと思うが、若き悩める官僚の方々には、こういう生き方もあるのだという一例としてぜひ読んでいただきたい。
しかし、やりたくない仕事を無理に肯定せず、「やりたくない」と認識しながらやり通す、その精神力には脱帽しかない。
23 people found this helpfulSending feedback...Sending feedback...HelpfulThank you for your feedback.Sorry, we failed to record your vote. Please try againThanks, we'll investigate in the next few days.Sorry, We failed to report this review. Please try again - 5 out of 5 stars
いま読むべき一冊
Reviewed in Japan on July 3, 2018現時点で、アマゾン政治入門カテゴリーのベストセラー1位となっている、加計学院問題を
暴露・糾弾した注目の人、前川前事務次官の本です。
タイトルはTVインタビューで、前川氏が座右の銘として答えたもの。
基本的には、公務員は国民全体への奉仕者であり、本人が国民そのものでもありも、
また一個人でもあるという姿勢を忘れないことの重要性を説いています。
労働者は同時に消費者でもあることと同様に、公務員の在り方もまた本来当然のことなのですが、
全体への奉仕者であるということすら蔑ろにされ、時の内閣、権力だけのための奉仕者に往々にして
なりやすい公務員が非常に多いことを前川氏は憂いています。
ただ世界の歴史を見ても、古来から官僚と権力が結びつき、国民を痛めつけるという構図は定番な
わけでして、決していまに始まったことではありません。
これだけ情報網が発達した時代だからこそ、それを跳ね除けることが出来る可能性があるわけで、
やりたい放題の安倍政権は、はっきり言って国民さえしっかりしていれば、全てはバレバレなので、
まさに時代遅れの権力者の在り方だし、言ってみればアホな政権なのです。
そんな政権をいまだのさばらせているのは、やはり国民の当事者感覚のなさによるものでしかありません。
前川氏は、大人の生涯学習の重要性を仰っていますが、社会人とはどういうものなのかを日本人は
改めて問いなおさなければ、これからの日本の未来は、ひたすら暗澹としたものになるでしょう。
会社の社員(個人事業主)であると同時に、国民でもあり、一個人でもある。
この点は、公務員であれ、一般の労働者であれ、全く変わらないことです。
要は目の前のことだけにしか関心がなくなると、結局は自分で自分の首を締めることになってしまうのです。
国民であるというのは、必ずしも選挙にいくということではなく、社会の状況を理解し、いま選挙に行くべきか
判断するだけの知識や能力を得るということでしょう。
一個人であるというのは、例えば新興宗教に所属していても、そこに完全に依存するのではなく、場合によっては
教団とは別の判断をできる人になるということでしょう。
それが出来るのが、本当の大人であり、ただ会社に尽くしたり、新興宗教に尽くしたりするのは、
単なる奴隷でしかなく、家族のためには仕方ないというのは、わかりますが、ただやっぱり長期的に見れば、
自分たちで自分たちをどんどん窮地に追いやっているということを理解せねばなりません。
76 people found this helpfulSending feedback...Sending feedback...HelpfulThank you for your feedback.Sorry, we failed to record your vote. Please try againThanks, we'll investigate in the next few days.Sorry, We failed to report this review. Please try again - 5 out of 5 stars
さらなる活躍を祈ります
Reviewed in Japan on October 5, 2020少し時間が経ったけれど、内閣の裏の動きが表面化した事件。状況がよくわかります。
3 people found this helpfulSending feedback...Sending feedback...HelpfulThank you for your feedback.Sorry, we failed to record your vote. Please try againThanks, we'll investigate in the next few days.Sorry, We failed to report this review. Please try again - 3 out of 5 stars
民主主義はお嫌い?
Reviewed in Japan on July 29, 2018著者は、文部科学事務次官を務め、天下り斡旋の責任をとって文部科学事務次官を辞職した前川喜平さん。書名になっている「面従腹背」は、彼の座右の銘だという。
けれども、冒頭から矛盾が見られる――たとえば、「公務員は匿名」であり、「私個人の名前の入った文書であっても、それは私個人の意思を表したものではない」と記す一方で、後輩官僚に対しては「自分が尊厳のある個人であること―(中略)―を忘れてはならない」(4ページ)という相矛盾したメッセージを送っている。
また、「組織に残る以上は面従せざるを得ない」(14ページ)と記しているが、これもおかしい。組織が違法行為をしろと命じた場合、それに従ったら犯罪幇助である。
前半は、ご自身が携わってきた文部科学行政を振り返り、論評を加えている。ユネスコの政治化や、国歌斉唱・国旗掲揚については学習指導要領に記されているのだから私立も同じように対応しなければいけないのに効率だけ厳しく指摘されるなどの文科行政の矛盾は、たしかにご指摘の通りである。
このように仕組みやルールについては論理的に分析できている前川さんだが、個人に対する評価には理(ことわり)が見られない。たとえば、誘われて飲みに行った「7年先輩の河野愛さんや4年先輩の寺脇研さん」(26ページ)は高く評価するが、のちに愛知県知事となる加戸守行氏については「もともと国家主義的考え方の持ち主だ」(29ページ)と切って捨てる。
また、沖縄県竹富町の教科書採択問題についても、問題自体を客観的に分析し、「教科書採択は各学校の権限にすべきである。複数の学校で同一の教科書を使わなければならない理由もないからだ」(113ページ)と理路整然と結んでいるのだが、途中、「下村大臣、義家政務官の指示に従って―(中略)―完璧に面従していた」(108ページ)と関係ない話題を書いてしまう。
こうした矛盾やギャップがどこから来るのか――「内心においていかなる法も規律も認めず、国家に従属したり国家の部分として存在したりすることを拒否するという意味において、私はアナキストだったとも言える」(24ページ)という独白を読んで納得した。前川さんは、法令遵守を基盤とする民主主義、科学的合理主義とは相容れない方なのだ。
たとえば、南京大虐殺が史実であるという前提に立って、「法律も万能ではない。法律が決めたからといって教育内容として妥当だとは言えない」(125ページ)と書いてしまう。第3章の教育基本法改正に対する反論も、ルールや論理に立脚していないがために、いまひとつ説得力に欠ける。
そして第4章は、京都造形芸術大学の寺脇研氏、毎日新聞の倉重篤郎氏と3人で、加計学園問題についての対談となっている。
前川さんは、獣医学部は卒業まで学生1人当たり2000万円の収入になるから、学校は儲かると語る。教職員の人件費は、実験費は、施設維持費といった経費は算定しないのだろうか。そして、獣医学部新設は密室で決まったこととして、多くの政治家や官僚の名前を並べ上げ、陰謀論のような話になってゆく。
前川さんは、巻末でTwitterをやっていたことを白状し、いまは非公開にしていると結んでいる。
最後まで、ご自身に不都合なことには触れず、たしかにアナーキストの独白を読んでいるような印象を受けた。
53 people found this helpfulSending feedback...Sending feedback...HelpfulThank you for your feedback.Sorry, we failed to record your vote. Please try againThanks, we'll investigate in the next few days.Sorry, We failed to report this review. Please try again - 5 out of 5 stars
値段は安いけどいい商品でした(*^^*)
Reviewed in Japan on February 1, 2022値段は安いけどいい商品でした(*^^*)
3 people found this helpfulSending feedback...Sending feedback...HelpfulThank you for your feedback.Sorry, we failed to record your vote. Please try againThanks, we'll investigate in the next few days.Sorry, We failed to report this review. Please try again - 4 out of 5 stars
組織の内部にいて、変革を試みるということ
Reviewed in Japan on February 28, 2019容貌が何処かタレントの見栄晴に似ている気がする、前川喜平元文部科学事務次官。
“似通った内実=構造は近似の形態を生む”という、トポロジー専門のフランスの数学者ルネ・トムの説のように、かの芸能人と共通する妙な軽みを感じさせた一冊。
第1章 文部官僚としての葛藤 組織への違和感(P24~)は、著者が入省した1979年当時のことが書いてあり、あの頃の国家公務員上級甲種試験上位合格者は予算を握る大蔵省か利権が多岐に渡る通産省希望が多く、文部省は上昇志向が薄い人たちの集まりだったが、それにしても「こんなに緩いの?」と驚く方々が少なくはないと予測可能。
“勤務時間を過ぎるとどの部屋からもジャラジャラという麻雀の音が聞こえた。どの部屋にも2~3卓の麻雀卓があり、それを執務室に巧みに広げて賭け麻雀をするのだ。本当に毎日やっていた”、“お酒を用意したり夜食の出前の注文を聞いたりするのも「仕事」だった”、“この頃(1980年頃)の文部省の幹部たちは、自分の金では飲んでいなかった。我々も一銭も払ったことはない。すべて役所の金で飲んでいた。(中略)実際には行っていない出張に行ったことにして、出張費を浮かし、裏金にするのだ”、と。
霞が関のお役人さんたちは終業とほぼ同時に多くが、「さあ、これからが本番」とばかりに各々の机の一番下の抽斗から酒瓶を出し、飲みながら仕事をするのが通例と聞いてはいたが、麻雀や飲食店での飲み食いで空残業代を稼いでいたの?
他、“研修”や“視察”と称した公費での国内外観光旅行、ゴルフ大会、ここには書いていないが、出張に家族も同伴させて宿泊費や飲食代も経費水増しで経理に請求することも珍しくはなかったはずだ。
しかし、もっと悪質なのは政治家たちであるのだが、本題から逸れるので止めておく。
国際バカロレア課程、臨教審答申の提言にあった新国際学校、高校専攻科から大学編入問題、高校無償化と奨学給付金制度、夜間中学設置促進を謳う教育機会確保法の立法、教育基本法改正、教員免許更新制導入を巡る政治的圧力と数々のトラブル、ゆとり教育による学力低下と脱ゆとりの弊害、国旗掲揚と国歌斉唱の義務化、全国学力・学習状況調査、八重山教科書問題、七生養護学校事件、安倍チルドレンである赤池日章自民党文部科学部会部会長と池田佳隆同副部会長による名古屋市教育委員会への介入、旭川学力テスト事件最高裁判決、道徳授業教科化、果ては教育勅語復権、森友・加計問題、etc。
多くが、あるいは一部が良かれと思い時間を費やし検討に検討を重ねて立法化、実施されたことが新たによりいっそう複雑な諸問題を生む、永遠に切れないループ状態から抜け出せない、まさに無間地獄ではないか。
本来公務員になってはならない人だろうという批判もあるだろうが、著者が関わった40年以上に渡る教育行政の出来事を、奇しくもヒストリカルに俯瞰できる恰好のテキストと言えるかも。
どなたかの卓見通り本書は“懺悔の書”ではなく、“告発の書”でもなく、定年前に政務次官まで上り詰め天下り問題を契機に「役所に縛られるのはもういいかな、老後のことでも考えよう」という“仕事疲れの書”、“諦めの書”なのでは?
客観的に見ようと外部から批判や助言することも大切だが、組織の内部にいてこそ見えることも重要であり、その立場から試行錯誤し変革、改革、改善を試みるということは、それが失敗に終わったとしても意義があるのだと思いたい。
第4章 特別座談会の出席者である寺脇研京都造形芸術大学教授、倉重篤郎毎日新聞専門編集委員という顔触れを見ればその内容は自ずと概括可能。
寺脇教授は言わずと知れた元文部官僚で、様々な物議を醸し出す“ゆとり教育”の広報担当責任者とも言うべき人物。
その原点となったのは生徒の驚くべき数が授業内容を理解できない落ちこぼれ問題があり、詰込み教育の歪さがもたらす数々の弊害をどう緩和できるかへの取組みであり、その発想は決して誤ってはいなかったはず。
寺脇は上の団塊世代の学園紛争や武力闘争否定論者で、世の中を変えるためには個々人が豊かな想像力を持ち多種多様な経験を通して(総合学習・生涯教育)自らを変え、複雑化が進み渾沌とした時代を生き抜く力を養うべきだと考え、そのためには内側にいるべきだと文部省に入省したらしい。
そういった意味では、前川とは近いスタンスにいて、1984年に発足した中曽根康弘元総理直轄諮問機関臨時教育審議会は、内部にいたからこそ彼等が得られた格好のチャンスであり、その追い風となったのは、1995年の生き延びる能力が問われた阪神淡路大震災、従来型偏差値教育課程における秀才たちが暴走した地下鉄サリン事件。
特に後者に関しては、寺脇や前川とほぼ同世代であり、同じく学歴信仰時代の受験戦争における一応の勝利者が多く、世の中を変えたい変えるべきだと思っていた謂わば同類による未曾有の犯罪だったから、その衝撃は並みではなかったと思う。
冒頭の“組織への違和感”は文部省・文部科学省での経験によるもの以前、前川及び寺脇が教育制度に基づく学級や学年、学校という組織や区割り、引いては世の中の体制や世界と個人が向き合った時に生まれざるを得ない引っ掛かり、素朴な疑問、根深い不信、尋常ではなかった軋轢などが土台にあったのではないかな?
全篇通し個人の尊厳を強調しながら、人間が社会的な生き物であることも承知していると窺え、“面従”した言い訳を随所でさりげなく、あるいは一所懸命に行っているのだが、“面従”の臆病さと卑劣さを知りつつ、今や利害関係のない多くの政治家については実名を挙げつつ批判していて、現在の自主夜間中学スタッフとしての活動よりタレントに転身した方が好いかも。
今はお役所勤めから解放されホッとしているのだろうが、前川さんが本来やるべきことはこれからでしょう?
5 people found this helpfulSending feedback...Sending feedback...HelpfulThank you for your feedback.Sorry, we failed to record your vote. Please try againThanks, we'll investigate in the next few days.Sorry, We failed to report this review. Please try again




